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新型コロナ禍での苦闘
最初の感染は、ドクさんの仕事が影響したとみられる。ベトナムで新型コロナ感染が急速に拡大した2021年、政府は8月から厳格な社会的隔離措置を実施した。その間もドクさんは医療事務の従事者として、新型コロナ患者のための臨時病院で医療事務に従事した。感染の拡大防止のため、帰宅もできず病院に泊まり込む日々が1か月も続いた。
新型コロナ対応の最前線、ドクさんは「仕事そのものよりも、心理的な苦しさがあった」と話す。自身も、分離手術の前後は当然のこと、その後も腎臓や尿管などの病気で手術や入院を繰り返してきた。医療現場には慣れているはずだったが、「そんな自分でも、新型コロナ感染者の苦悶する姿や、死者が増えていく状況を目の当たりにするのは辛かった」(ドクさん)という。
その後も、PCR検査チームの一員として、感染爆発が起きた地区への派遣などで忙殺され、就寝は夜2〜3時の生活が2か月半も続いた。落ち着きが見えはじめた10月、自らの新型コロナ感染が分かった。さらに今年2月には、数か月ぶりに登校を再開した子どもを介し、再び感染してしまった。
日越交流にかける思い
2回の感染とも自宅での投薬治療で治癒できたものの、現在も不眠や背骨の痛みなどの新型コロナ後遺症が残っている。まだ体調は万全ではないものの、そんな状況下でも日越の交流と平和教育に意欲を示している。
日本とベトナムの交流は、新型コロナ禍で縮小を余儀なくされたが、ドクさんは常に日本のことを考えていた。分離手術などで支援を受けた日本への思いは強く、子どもたちの名前も男の子は「フー・シー(富士)」、女の子は「アイン・ダオ(桜)」と命名したほどだ。