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そんなとき、バオさんは「良い子にしてよく食べてよく寝たら、明後日には帰ってくるよ」と嘘をついた。近所の人や両親の教え子が自宅を訪ねてきたときに母親は亡くなったのだと言うのを聞いて、兄もようやく理解した。それから数日、兄は無口になり、食欲も失くした。
兄との関わりが深くなり、もはや責任として兄の世話をしていると感じることはなくなり、責任ではなく愛情なのだと気付いた。風が吹けば温かくしてあげ、食欲がなさそうであれば何が食べたいか聞いて作ってあげる。母親が作るように豚の角煮と煮玉子が美味しくできたとき、兄は言葉で褒めることはできなかったが、あっという間に食べて、おかわりをした。そんな兄を見て、バオさんはふと幸せを感じた。バオさんは時々、勉強の時間を削って兄と一緒にアニメを見たり、本を読んであげたりしている。
バオさんが通っていたグエンフウフアン中学校で数学を教えるグエン・ティ・カム・チンさんによると、バオさんの両親の年金は多くなく、ホーチミン市で2人の子供を養っていくには十分でなかったため、父親は仕事を続けなければならなかったという。
「バオさんのお父さんが亡くなったと聞いて、お母さんに電話をかけました。彼女は悲しみ、切羽詰まり、一家の大黒柱を失ってこれからどうやって2人の子供を養っていけばいいのかと心配していました。まさかわずか十数日後に彼女まで亡くなるなんて思いもしませんでした」とチンさんは語る。
地元当局や学校、保護者会、親戚は、両親を失ったバオさん兄弟を精神的に励まし、兄弟の経済的負担を減らすべく金銭的な支援を決めた。ひとまず、バオさんが高校に通う残り2年間の金銭的な心配はなくなった。しかし、18歳になれば支援は終わる。「18歳になったとき、大学の学費と兄の養育費を支払うことができるのか心配です」とバオさんは打ち明けた。
毎日午後5時半になると、バオさんと兄はオンラインで教会の礼拝に参加し、両親に祈りを捧げる。部屋の片隅にはピアノがあるが、この2か月は弾くことができずにいる。最後の音を弾き終わっても褒めてくれる母親がいない、それを実際に感じるのが怖いからだ。
バオさんは毎日2時間を数学の勉強に充て、全国数学オリンピックでの入賞を目指している。父親はバオさんが幼いころから数学に親しませてくれ、母親は労を惜しまず勉強するよう助言してくれた。
「両親に捧げるために、数学オリンピックでメダルを獲りたいです」とバオさんは語った。