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自分のプライドが許さず、ハッカーとしての血がさわいで、大学のシステム全体をハッキングしました。その後、そのセキュリティホールを利用して、オンラインショップやクレジットカードなどのウェブサイトを次々とハッキングし、個人情報を抜き取って犯罪組織に売ったり、その情報を使って自分の電子機器を買ったりしました。でも、それから大学の監視対象になってしまい、大学からも追い出されたので、ベトナムに逃げ帰ったんです。
ベトナムに帰ると両親が心を痛めていて、僕はそれまでのすべてを断ち切って真面目に勉強すると約束し、ホーチミン市自然科学大学のITECセンターに入りました。でもがっかりしたことに、ここでもまたセキュリティホールを発見してしまい、センターに警告しても聞く耳を持ってもらえませんでした。それでシステムをハッキングし、試験問題を盗んで友人に共有し、皆で10点満点を取っていました。
銀行カードの情報を盗むのは発見されるリスクが高いと考えた僕は、ダークウェブの友人たちのすすめもあって、もっと安全な方法でお金を稼ぐことを思いつきました。それは、個人情報を保管しているとあるウェブサイトから米国人の情報を盗み、ウェブサイトに公開して、閲覧したければ情報1件につき1USD(約114円)を仮想通貨で支払わせるという方法です。それで1日に5000~1万USD(約57万~114万円)は稼いでいましたね。
でも、ウェブサイトの管理会社に気付かれて、セキュリティホールが塞がれてしまいました。そこで、より巧妙で長期的な別の方法を考え、書類を偽造して、より大きな企業1社とデータ交換に関する契約を結びました。
それからはハッキングしないでシステムに入れるようになったのですが、2年後に偽造書類を使ったことが米国の諜報員に見つかり、アクセス権を抹消されてしまいました。
刑務所への「留学」
―――ダークウェブ界での活動に終止符を打ったのはいつのことですか?
2013年2月、ダークウェブで一緒に活動していて、実際に会ったことはなかった外国人の友人からある「案件」に誘われ、同意しました。姉と一緒にグアムに旅行に行き、そのままグアムで友人と「案件」について相談する予定でした。
まさかその友人が、サイバー犯罪者を捕まえるために米国の警察と協力していた諜報員だったなんて。僕もターゲットの1人だったんです。米国の諜報員はアップル社(Apple)とも協力し、ロシアにいる僕の仲間を監視していました。