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[特集]

米国で7年服役した有名ハッカー、政府公認の専門家として社会貢献

2021/11/07 10:38 JST更新

(C) tuoitre
(C) tuoitre
 「HieuPC」ことゴ・ミン・ヒエウさん(男性・32歳、南中部高原地方ザライ省出身)は、多国籍サイバー犯罪者集団の1人として2013年に米国で逮捕された、有名な元ブラックハットハッカーだ。米国で7年間服役した後にベトナムへ帰国した彼は今、自分の能力を活かして社会やコミュニティに貢献したいと考えている。

 地元紙「トゥオイチェー(Tuoi Tre)」は、ヒエウさんにインタビューを行った。

間違った道

―――あなたが有名ハッカーになるまでの道は、どこから始まりましたか?

 かつて家族が電子機器やパソコンを販売していたので、4~5歳のころには機械に触れていて、触ってはしょっちゅう壊していました。6年生(中学1年生)のとき、あまりにパソコンに熱中していたので両親がパソコンの基礎クラスに通わせてくれました。

 7~8年生(中学2~3年生)の夏にはホーチミン市のおじの家に居候しながら、ネットワーク管理とウェブサイトプログラミングのクラスに通いました。パソコンに忙しくて他の科目は落ちこぼれで、家族に禁止されて家出し、ホーチミン市に行くためリュック1つを背負ってカインホア省(南中部沿岸地方)のバスターミナルに向かったこともあります。

 10年生(高校1年生)のころには、「アンダーワールド」に参加するようになりました。そこは、ブラックハットハッカーたちが違法行為でお金を稼ぐところです。

 14歳のころから銀行やオンラインショップのウェブサイトをハッキングしては、ネット上の掲示板に成果を共有していました。当時はまだ幼かったので、ただハッキングが楽しくて、自分の能力を他人に見せつけたかっただけで、自分が違法行為をしているとは思いもせず、それがどんな結果になるのかもわかっていませんでした。

 その後、多くの人から「そんなにすごいのにどうしてその能力をお金稼ぎに使わないんだ」と言われ、銀行やクレジットカード、ゲームアカウントの情報を売買してお金を稼ぐ方法を教えてもらいました。お金を稼ぐのはなんて簡単なんだと衝撃を受けましたね。こうして間違った道を歩み始めたんです。

―――その後、お金稼ぎはどうなりましたか?

 その時に稼いだお金でニュージーランドのユニテック工科大学に留学しました。でも、大学で勉強する中で大学のネットワークシステムにセキュリティホールを発見し、大学側に報告したのですが、誰も気にとめませんでした。

 自分のプライドが許さず、ハッカーとしての血がさわいで、大学のシステム全体をハッキングしました。その後、そのセキュリティホールを利用して、オンラインショップやクレジットカードなどのウェブサイトを次々とハッキングし、個人情報を抜き取って犯罪組織に売ったり、その情報を使って自分の電子機器を買ったりしました。でも、それから大学の監視対象になってしまい、大学からも追い出されたので、ベトナムに逃げ帰ったんです。

 ベトナムに帰ると両親が心を痛めていて、僕はそれまでのすべてを断ち切って真面目に勉強すると約束し、ホーチミン市自然科学大学のITECセンターに入りました。でもがっかりしたことに、ここでもまたセキュリティホールを発見してしまい、センターに警告しても聞く耳を持ってもらえませんでした。それでシステムをハッキングし、試験問題を盗んで友人に共有し、皆で10点満点を取っていました。

 銀行カードの情報を盗むのは発見されるリスクが高いと考えた僕は、ダークウェブの友人たちのすすめもあって、もっと安全な方法でお金を稼ぐことを思いつきました。それは、個人情報を保管しているとあるウェブサイトから米国人の情報を盗み、ウェブサイトに公開して、閲覧したければ情報1件につき1USD(約114円)を仮想通貨で支払わせるという方法です。それで1日に5000~1万USD(約57万~114万円)は稼いでいましたね。

 でも、ウェブサイトの管理会社に気付かれて、セキュリティホールが塞がれてしまいました。そこで、より巧妙で長期的な別の方法を考え、書類を偽造して、より大きな企業1社とデータ交換に関する契約を結びました。

 それからはハッキングしないでシステムに入れるようになったのですが、2年後に偽造書類を使ったことが米国の諜報員に見つかり、アクセス権を抹消されてしまいました。

刑務所への「留学」

―――ダークウェブ界での活動に終止符を打ったのはいつのことですか?

 2013年2月、ダークウェブで一緒に活動していて、実際に会ったことはなかった外国人の友人からある「案件」に誘われ、同意しました。姉と一緒にグアムに旅行に行き、そのままグアムで友人と「案件」について相談する予定でした。

 まさかその友人が、サイバー犯罪者を捕まえるために米国の警察と協力していた諜報員だったなんて。僕もターゲットの1人だったんです。米国の諜報員はアップル社(Apple)とも協力し、ロシアにいる僕の仲間を監視していました。

 仲間がパソコンを買いに行った時、アップル側の人がそのパソコンに追跡ソフトウェアをインストールしていたので、僕とその仲間の会話はすべて諜報員に把握されていました。

 逮捕された日のことを今でも鮮明に覚えています。2013年2月7日、姉と僕がグアムの空港に降り立った瞬間、米国の諜報員が近づいてきました。僕は「終わった!スパイされていたんだ」と頭の中で叫びました。そして連れて行かれた刑務所は、ベッドもなく、薄っぺらい布があるだけで、凍えるほど寒いところでした。

―――異国の刑務所に入り、何をして乗り越えましたか?

 刑務所に入って2か月は、当初の判決が懲役40年だったため空が足元に落ちてきたかのように感じていました。その後、捜査に協力して別の仲間の逮捕に至ったことから懲役13年に減刑されました。

 首を吊ろうと考えたこともありますが、両親や親戚のことを思い、家族に再会するため頑張って生きることにしました。服役中は、何度も違う刑務所に移送されました。

 米国の刑務所の生活はそれほど過酷ではありませんでした。メンタリティや聖書、ビジネス、ソフトスキルなどを勉強させてもらえましたし、勉強が終わったら調理場や食堂で働き、芝生を刈ることもありました。

 それから、麻薬中毒者の心理カウンセリングを担当するメンターとして9か月間は軍の学校に送られました。そこでは自分のことを話したり、麻薬中毒者が聖書や道徳を勉強する手伝いをしたりしていました。

 僕は心を開き、学び、刑務所の中でポジティブな人を探して友人を作りました。刑務所では独学で絵を書いたり、折り紙を折って友人に教えたり、カードを書いたり、きれいな字を書く練習をしたりもしていました。

 こうして刑務所で過ごす日々を「留学」に変え、生きる価値や道徳、精神的な生活など本当にたくさんのことを学びました。この経験が、以前とは完全に別の人間に自分を変えてくれました。

コミュニティのために、無償で役に立ちたい

―――刑務所にいる間、最も価値あるものは何だと気付きましたか?

 刑務所にいる時、最も気がかりだったのは両親のことでした。以前はお金を稼ぐと週に1000万~2000万VND(約5万~10万円)をオンライン新聞のチャリティー基金や、貧しい人たちに配給をしている病院に募金していました。診療費が払えない人には僕が代わりに支払い、時には数千万VND(1000万VND=約5万円)を支払うこともありました。

 しかしながら、僕が逮捕されてしまったことで、両親は僕が所有していた別荘7軒と自動車3台を売り払い、弁護士費用に充てました。あれだけ稼いだお金も、煙のように消えていったんです。

 7年間の刑期を終えて両親に再会した時、父は大腸がんを患い、母はすっかりやせ細っていました。僕は涙をこらえて、過ちを償い、親孝行をするために、自分の生き方を変えなければならないと思いました。

 自由は僕にとても幸せな気持ちを与えてくれます。この自由にふさわしい生き方をしなければなりません。お金を稼いでいたピークの時期は、よく眠れた夜などありませんでした。より多くの情報をハッキングする方法や捕まらないように隠れる方法をいつも考えていましたから。

 刑務所にいた7年間で、人間の真の価値が何であるかということに気付きました。だからこれからは、この自由な日々と自分の能力を使って誰かの役に立つことをして、夜はぐっすり眠りたいと思っています。

―――あなたはまだ若く、新しいことを始めるのに手遅れということはないでしょう。これから先、何か計画はありますか?

 刑務所にいる間、7冊の日記を英語で書きました。日記には、刑務所を出たら実現したいビジネスやサイバーセキュリティのアイデアを書いていました。

 今、僕はサイバーセキュリティに関するオンラインセミナーに参加したり、自分の人生やセキュリティの技術について執筆したりと、いくつかのプロジェクトを進めています。

 それから、ネットワークの知識を教える無料のクラスも開講したいです。将来的には、お金に重きを置くのではなく、コミュニティの役に立つサイバーセキュリティの会社を立ち上げたいと考えています。


技術専門家になる

 ヒエウさんは2020年、ベトナム情報通信省傘下の情報安全局国家サイバーセキュリティセンター(National Cyber Security Center=NCSC)に技術専門家として起用され、現在は独立専門家としてセンターと協力している。

 ヒエウさんはこう語る。「米国から帰国して1か月が経ったころ、NCSCの職員から電話があり、カフェに誘われました。そこで自分から彼に、社会貢献のため、自分の人生のためにセンターで働きたいとお願いしました。そして1か月後に申し出を受け入れてもらえました」。

 詐欺サイト撲滅のウェブサイト<chongluadao.vn>は、ヒエウさんのアイデアから生まれたものだ。ヒエウさんはベトナムに帰国してから仲間を4人集めて、コミュニティの役に立つべく2020年12月にこのサイトを立ち上げた。 

[Tuoi Tre 08:41 27/10/2021, A]
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