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タイで5年間家政婦として働いていたレ・ティ・ベトさん(女性・63歳)は、家主からプリザーブドフラワーの作り方を教えてもらい、50歳でベトナムに戻って事業を始めた。
中部の暑い日差しが急に弱まった6月のある朝、ベトさんは天候が予想通りに変化してご機嫌だった。プリザーブドフラワーの注文が入り、南中部高原地方ラムドン省ダラット市から北中部地方タインホア省ノンコン郡にある自宅に届くよう、前の週に1000本のバラの花を注文していたのだ。
「プリザーブドフラワーの制作過程では、技術のほかに天候も重要な要素です。気温が高過ぎても低過ぎても作ることはできません。適切な天候と適切な技術が揃って初めて、この花のように13年経っても色褪せない作品ができるんです」。ベトさんは、ベトナムに帰って初めて制作したという、リビングルームに飾られたプリザーブドフラワーの花瓶を指差しながら教えてくれた。
2001年、ベトさん夫妻は空き地の緑化プロジェクトで銀行から借入れをして丘陵地を購入したが、植えたユーカリが育たないうちに借金の返済期限を迎えてしまった。夫妻はレンガ作りと並行して作物も育てて商売をしていたが、膨らんだ借金の利子を払うだけで精一杯の状態だった。
そんな中、ベトさんは借金を早く返済できるよう高収入の仕事を探し、知人からの紹介でタイに渡って家政婦として働くことを決意した。「タイに渡った当初、私はタイ語で『これは何ですか?』という言葉しか知りませんでした。相手が答えた単語をメモして言葉を覚えていったんです」とベトさん。
ベトさんはタイに到着すると、まず世界地図を購入した。そして、万が一の場合に備え、自分が今いる場所と、どのルートを通ればベトナムに最速で戻ることができるのかを確認した。
ベトさんにとって一番辛かったのは、ホームシックだった。「朝が来るといつも朝日の方を向きました。その方向に、故郷のベトナムがあったからです」とベトさんは当時を回想した。
タイでのベトさんの仕事は、料理などの家事と、2歳の子供が幼稚園から帰った後のベビーシッターで、月給は4000THB(当時のレートで約120万VND=約5800円)だった。一方、当時のベトナムで同様の仕事をしても月給は40万VND(約1940円)程度だった。
しかし、もともと動き回って仕事をしてきたベトさんにとって、家政婦の仕事は暇な時間が多く、また誰も話し相手がいない状況は耐え難かった。そして6か月働いた後、「一日中忙しく過ごしたいんです」と、たどたどしいタイ語で家主に退職を申し出た。