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[特集]

「おしん」からプリザーブドフラワー職人に、50歳を前に起業したベトナム人女性

2021/06/27 10:39 JST更新

(C) vnexpress
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 タイで5年間家政婦として働いていたレ・ティ・ベトさん(女性・63歳)は、家主からプリザーブドフラワーの作り方を教えてもらい、50歳でベトナムに戻って事業を始めた。

 中部の暑い日差しが急に弱まった6月のある朝、ベトさんは天候が予想通りに変化してご機嫌だった。プリザーブドフラワーの注文が入り、南中部高原地方ラムドン省ダラット市から北中部地方タインホア省ノンコン郡にある自宅に届くよう、前の週に1000本のバラの花を注文していたのだ。

 「プリザーブドフラワーの制作過程では、技術のほかに天候も重要な要素です。気温が高過ぎても低過ぎても作ることはできません。適切な天候と適切な技術が揃って初めて、この花のように13年経っても色褪せない作品ができるんです」。ベトさんは、ベトナムに帰って初めて制作したという、リビングルームに飾られたプリザーブドフラワーの花瓶を指差しながら教えてくれた。

 2001年、ベトさん夫妻は空き地の緑化プロジェクトで銀行から借入れをして丘陵地を購入したが、植えたユーカリが育たないうちに借金の返済期限を迎えてしまった。夫妻はレンガ作りと並行して作物も育てて商売をしていたが、膨らんだ借金の利子を払うだけで精一杯の状態だった。

 そんな中、ベトさんは借金を早く返済できるよう高収入の仕事を探し、知人からの紹介でタイに渡って家政婦として働くことを決意した。「タイに渡った当初、私はタイ語で『これは何ですか?』という言葉しか知りませんでした。相手が答えた単語をメモして言葉を覚えていったんです」とベトさん。

 ベトさんはタイに到着すると、まず世界地図を購入した。そして、万が一の場合に備え、自分が今いる場所と、どのルートを通ればベトナムに最速で戻ることができるのかを確認した。

 ベトさんにとって一番辛かったのは、ホームシックだった。「朝が来るといつも朝日の方を向きました。その方向に、故郷のベトナムがあったからです」とベトさんは当時を回想した。

 タイでのベトさんの仕事は、料理などの家事と、2歳の子供が幼稚園から帰った後のベビーシッターで、月給は4000THB(当時のレートで約120万VND=約5800円)だった。一方、当時のベトナムで同様の仕事をしても月給は40万VND(約1940円)程度だった。

 しかし、もともと動き回って仕事をしてきたベトさんにとって、家政婦の仕事は暇な時間が多く、また誰も話し相手がいない状況は耐え難かった。そして6か月働いた後、「一日中忙しく過ごしたいんです」と、たどたどしいタイ語で家主に退職を申し出た。

 家主はベトさんを引きとめるため、知人から教えてもらったという日本の技術を使ったプリザーブドフラワーの制作方法が書かれた本と生花を持ってきて、ベトさんが作り方を学べるようにした。

 プリザーブドフラワー制作に関する給料の取り決めはなかったものの、ベトさんはこの仕事が気に入り、努力を惜しまなかった。プリザーブドフラワーの勉強時間を確保するため、毎朝5時前に起きて全ての家事を終わらせた。

 ある時、庭の剪定をしようと早起きしたものの、剪定する所を間違えてしまい、家主に叱られて平手打ちされたこともあった。「夜遅くまで勉強し、早起きして仕事をしていたのに叱られて、とてもがっかりしました。でも自分が間違っていたとわかり、家主に謝罪してやり直しました」とベトさんは当時を振り返った。

 約1か月の試行錯誤の後、ベトさんは正しい方法でプリザーブドフラワーを作れるようになった。家主からの信頼も得て、新たに人を雇って自宅でプリザードフラワーの製造工場を開くことになった。ベトさんは10人のベトナム人従業員に技術を教え、制作を続けた。以来、家政婦の仕事は他の人に託して、「おしん」としての生活を終えた。

 工場の従業員が増えた時期に、雇い主のインボイスが紛失するというトラブルが起きた。雇い主は激怒し、市のごみ集積所に探しに行くよう命じたが、結局見つからず、全ての従業員を解雇すると言い放った。

 「海外での生活は屈辱に満ちています。私は自分の子供や孫たちには海外に働きに行かせないと決めました。でも、自分は故郷に帰ればこのプリザーブドフラワーの仕事で生活できると信じて、辛抱強く勉強を続けました」とベトさん。

 一緒に働いていたベトナム人従業員たちはこの件で仕事を辞めようとしていたが、ベトさんは「雇い主が冷静になるのを待ちましょう。工場を立て直して、また新しい従業員に一から技術を教えるのは簡単じゃないとわかるはずだから」と辛抱強く待つよう伝えた。ベトさんの予想通り、翌日に雇い主は謝罪し、すべての従業員を引きとめた。

 日本の技術を使ったプリザーブドフラワー制作を始めて2年ほど経った時、ベトさんが管理していた工場がタイのマスメディアで取り上げられ、一躍有名になった。この時、ベトさんはプリザーブドフラワーの制作過程について、自信を持ってタイ語で説明できるまでになっていた。

 ちょうど同時期、ベトナムにいる夫から母親が亡くなったという知らせを受け取った。「涙で目がかすみ、手紙を全部読み終えるまでに5回も読み返しました」とベトさん。ベトさんがタイで仕事を続けていられたのは、故郷で子供や年老いた母親、そして病気の妹の世話をしてくれていた夫のグエン・チョン・ウエンさんのおかげだった。

 「当時、田舎では海外に働きに出る人がほとんどいなかったので、皆が私を哀れみの目で見ていました。でも、どんな時も私たち夫婦は将来を信じ、私は妻を応援していました」と夫のウエンさんは語る。以前、長きにわたり生花の生産・販売をしていたベトさん夫妻は、顧客のニーズを把握する経験に長けていた。

 ベトさんは2006年に故郷ベトナムに帰り、2000万VND(約9万7000円)余りを投じて起業した。「プリザーブドフラワーの材料は海外から輸入する必要がありますが、素材となる花はベトナム産がとても美しく、種類も豊富です」とベトさん。材料の調達や市場の調査に2年を費やし、ようやくベトさんはベトナムのプリザーブドフラワー業界に乗り出した。

 広さが10m2以上もある大きな木製のテーブルの上で、最初に赤いバラの花5本のプリザーブドフラワーを制作した。ベトさんはバイクでタインホア市内のとある店に向かい、制作したプリザーブドフラワーの販売を手伝って欲しいと依頼した。プリザーブドフラワー1本につき16万VND(約780円)で販売し、このうち7万VND(約340円)を店に支払った。1か月後にベトさんがその店を訪れると、驚くことに商品はとっくに売り切れていた。

 プリザーブドフラワー1本あたりの値段は決して安くないが、それでも購入する人がいるということがわかり、ベトさんは市場を拡大していくことに決めた。商品を持ってハノイ市や北中部地方ゲアン省、東北部地方クアンニン省ハロン市などを回り、販売した。

 最初の1か月は数十本のプリザーブドフラワーを制作して売り切ると、次は数百本を制作した。現在では毎月5000本ものプリザーブドフラワーを市場に卸しており、ベトさん夫妻のプリザーブドフラワー事業の収入は年平均10億VND(約485万円)を超えている。

 「竹林を歩いているだけでは、自分の限界を知ることはできなかったでしょう。多くの人は、50歳で人生の半分が過ぎたと言いますが、私はそのタイミングで起業しました。確実に言えるのは、情熱と決意さえあれば、何かを始めるのに遅過ぎることはない、ということです」とベトさんは語った。 

[VnExpress 05:06 08/06/2021, A]
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