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家主はベトさんを引きとめるため、知人から教えてもらったという日本の技術を使ったプリザーブドフラワーの制作方法が書かれた本と生花を持ってきて、ベトさんが作り方を学べるようにした。
プリザーブドフラワー制作に関する給料の取り決めはなかったものの、ベトさんはこの仕事が気に入り、努力を惜しまなかった。プリザーブドフラワーの勉強時間を確保するため、毎朝5時前に起きて全ての家事を終わらせた。
ある時、庭の剪定をしようと早起きしたものの、剪定する所を間違えてしまい、家主に叱られて平手打ちされたこともあった。「夜遅くまで勉強し、早起きして仕事をしていたのに叱られて、とてもがっかりしました。でも自分が間違っていたとわかり、家主に謝罪してやり直しました」とベトさんは当時を振り返った。
約1か月の試行錯誤の後、ベトさんは正しい方法でプリザーブドフラワーを作れるようになった。家主からの信頼も得て、新たに人を雇って自宅でプリザードフラワーの製造工場を開くことになった。ベトさんは10人のベトナム人従業員に技術を教え、制作を続けた。以来、家政婦の仕事は他の人に託して、「おしん」としての生活を終えた。
工場の従業員が増えた時期に、雇い主のインボイスが紛失するというトラブルが起きた。雇い主は激怒し、市のごみ集積所に探しに行くよう命じたが、結局見つからず、全ての従業員を解雇すると言い放った。
「海外での生活は屈辱に満ちています。私は自分の子供や孫たちには海外に働きに行かせないと決めました。でも、自分は故郷に帰ればこのプリザーブドフラワーの仕事で生活できると信じて、辛抱強く勉強を続けました」とベトさん。
一緒に働いていたベトナム人従業員たちはこの件で仕事を辞めようとしていたが、ベトさんは「雇い主が冷静になるのを待ちましょう。工場を立て直して、また新しい従業員に一から技術を教えるのは簡単じゃないとわかるはずだから」と辛抱強く待つよう伝えた。ベトさんの予想通り、翌日に雇い主は謝罪し、すべての従業員を引きとめた。
日本の技術を使ったプリザーブドフラワー制作を始めて2年ほど経った時、ベトさんが管理していた工場がタイのマスメディアで取り上げられ、一躍有名になった。この時、ベトさんはプリザーブドフラワーの制作過程について、自信を持ってタイ語で説明できるまでになっていた。