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その後、クオンさんは電話でトゥーさんに愛の告白をし、その情報はすぐにトゥーさんの父親の耳に届いた。しかし、トゥーさんの父親は2人の交際に断固反対し、トゥーさんの電話を没収してしまった。それは、自身が戦争で両腕を失い、妻が家族を養うために懸命に働いた末、過労で若くして亡くなってしまったという過去があり、自分の娘には妻と同じように苦労してほしくないという思いからだった。
トゥーさんの父親が反対していることを知ったクオンさんは、直接会って2人の交際を認めてもらうため、土曜日の朝に600kmの道のりを経てダナン市からザライ省まで赴いた。しかし、トゥーさんの家の門は閉じられたまま、何も反応がなく静かだった。
仕方なく、クオンさんは家の外でひざまずいていたが、トゥーさんの父親はそれを見て「勝手にしろ」と言うだけだった。それから9週間続けてクオンさんは遠路はるばるトゥーさんの家に行き、家の外でひざまずいていたが、やはりトゥーさんの父親は何も言わなかった。
2009年7月、父親を説得することができないとわかったトゥーさんは、仕事を辞めて家を飛び出し、ダナン市にいるクオンさんのもとへと向かった。恋人が汗だくで家の前に現れたのを見て、クオンさんはすぐに彼女を故郷のクアンナム省に連れて行き、母親と結婚式について話し合った。
3日後、結婚式が行われた。招待したのは100人ほどだったが、「腕のないクオンと急いで結婚するという花嫁の顔が見たい」と、200人以上の人々が興味津々で集まった。結納はせず、花で飾られた車もなく、新郎新婦の衣装を1着ずつレンタルしただけの簡素な式だった。
新婦側の親族が誰も出席していないことについて、クオンさんの母親は近隣の人々に、新婦の家が遠く離れているため、後日新婦の家でも別に結婚式を開くのだと説明した。結婚式の後、若い夫婦は毎日クアンナム省からクアンさんが営むダナン市のお店まで、18kmの道のりを行き来するようになった。
娘が駆け落ちして結婚したことを知ったトゥーさんの父親は、娘を勘当した。トゥーさん夫妻が母親の命日に帰省しても「おれにはもう娘はいない」とぶっきらぼうに周囲に話した。クオンさんとトゥーさんは、父親がまだ怒っていることを知っており、非難されることもわかっていたが、たびたび父親を訪ねて帰省した。
それからの2年間、トゥーさんの父親は2人が存在しないかのように過ごし、夫婦が帰省しても一言も発しなかった。食事時になると、クオンさんは父親と同席するのを避けるために庭へ逃げた。