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「私はターカ村人民委員会のホールに立って撮った自分の写真をフオンさんに送り、キムさんに見せるよう頼みました。彼女が信用すると、フオンさんはようやく私とキムさんをつないでくれました」とオン副委員長は語った。
ゲアン省警察の刑事警察部が捜査に乗り出し、キムさんを保護してベトナムに帰国させるため、関連当局に連絡をとった。そして、キムさんはベトナムへ帰国し、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に伴う規定の隔離期間を経て9年ぶりにゲアン省の故郷に帰ることとなった。
8月29日、キムさんはハノイ市の隔離センターからゲアン省の実家に向かった。かつては山腹沿いの道には草が生い茂っていたが、今では広々としたタイル張りの家屋が建っている。キムさんはそわそわし、不安と緊張で黙りこくっていた。
車が停まると、母親のオアインさんが駆け出して娘を抱きしめた。いつも肌が黒かった少女は、今や1人の女性になっていた。それでも、顔の輪郭は変わっていなかった。「お母さん、お母さんが恋しかったよ」。隔離施設でベトナム人と14日間を過ごしたことで、キムさんは9年間封印していたベトナム語をいくらか思い出すことができていた。
再会には、多くの涙があった。キムさんは母親の目をずっと見つめていた。「お母さんが年をとってしまっていたので悲しかったです。目も落ちくぼんでしまって」とキムさんは言った。
その夜、母親と子供たちは9年前のように小さなベッドに4人で並んで横たわった。母親はキムさんを再び失ってしまうことを恐れているかのように、キムさんの手を握りしめた。母親は、故郷の変化についてあれこれと話したが、キムさんが自分から話すよう、何かをたずねることはほとんどしなかった。娘の悲しげな目をもう見たくなかったのだ。
帰国して数日、キムさんのベトナム語はまだ流ちょうでなく、伝えられない言葉、聞き取れない言葉も多い。
「キムさんはまた売り飛ばされてしまうのではないかといつも恐れていて、本当にかわいそうです。家族が紹介しない限り、見知らぬ人とは会話をしません」と、オン副委員長は語る。キムさんは辛いものやもち米が食べられず、帰国してから食事も十分にとれていない。
愛する娘のため、オアインさんは離れていた日々を埋め合わせるように努めた。帰国してからの10日間、いつも娘に何が食べたいかたずねてそれを作り、どこに行きたいかたずねてそこへ連れて行った。
しかし、一方のキムさんは、パスポートを取得する手続きが終わったら、9年間慣れ親しんだ中国での生活に戻りたいと思っている。
キムさんは、心の隙間を埋めようとしても埋めることはできないのだと認めた。「でも、家族を見つけることができて、1人の国民として認めてもらうことができて良かったです。今は、どこにいても私は故郷やルーツ、家族がある人間だと断言できますし、私はカー・ティ・キム・ザンなんです」。キムさんは、限られたベトナム語でぎこちなく言った。