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外国人が、国を代表するチームをつくりあげ、国の威信をかけて他国と戦う、という仕事は、思えばかなり特殊なミッションだ。サッカー愛、人間愛なしには難しい仕事だろう。その上にそれぞれの国の、巨大な“全体”圧力がのしかかってきたに違いない。しかし彼は、どんなに追い込まれても“個”を消さずに主張した。そしてピッチの外では、フィリップ・トルシエという一人の人間として、驚くほどに謙虚に、他者や世界への好奇心を持ち続けている。“旅人”であり続けていることも、個性と謙虚さと好奇心とを保てる理由の一つかもしれない。どの国にも一人で行き、マネージャーや代理人はつけたことがなく、今も全てを自分自身で決めている。
「自分はどうも物事のポジティブな面しか考えない。ハッピーエンドしか想像できないところがある、ちょっと変わっているのかもしれない」と笑う。
トルシエ氏の話を聞いているうちに、「昨日も今日もしんどくても、明日は全く新しい。世界は広く、明日の試合には勝てるかもしれない」気がしてきて、にわかに元気が出てきた。
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パリの自宅に、30年以上連れ添う夫人と、モロッコの孤児院から引き取ったお嬢さん2人の家族がある。毎日ビデオ会話を欠かさない。「もうここ20年くらい単身赴任です」と愛する家族と離れて暮らすことを語るときだけは、少し寂しそうだった。 日本代表監督をまた頼まれたら受けますか、と問うと「ウイですよ、でも頼まれませんよ」と笑い「Jリーグならあり得るかな、長い旅のような自分のキャリアの最後が日本というのも良いかもしれない」とにこっとした。
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フィリップ・トルシエ氏略歴
フィリップ・トルシエ(Philippe Troussier)
1955年3月21日、パリ生まれ。
プロのサッカー選手としてフランス国内リーグ所属後、28歳で監督業に転向。1989年にアフリカのコートジボワールに渡り、一部リーグのアビジャンASEC監督就任。1993年コートジボワール代表監督。その後モロッコのリーグチーム、ナイジェリア、ブルキナファソ、南アフリカ代表監督を経て1998年に日本代表監督に就任し訪日。U20代表、U23オリンピック代表監督を兼任。1999年U20W杯準優勝、2000年シドニー五輪ベスト8、アジアカップ優勝、2001年コンフェデ杯準優勝。2002年のW杯で日本代表を史上初のベスト16に導き退任。
その後、カタール代表監督、フランス1部リーグのオリンピック・マルセイユ監督、モロッコ代表監督などを歴任し、訪越前は中国サッカー・スーパーリーグの重慶当代力帆足球倶楽部のスポーツディレクター。2018年8月よりPVF(ベトナムサッカー才能育成基金/Promotion fund of Vietnamese football talents)の技術統括ディレクター。ハノイ市在住。
Twitter:https://twitter.com/sol_beni_3_4_3
【Text & Photo by Miwa ARAI(ライター)】