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―――試合に負けたりPKに失敗したりといった結果の後、選手たちはどうやって立ち直るのですか。
サッカーの勝敗は、大概ごくわずかなディテールの差で決まります。しかしプロの世界では監督や選手は、その差で解雇さえされかねない。スポーツには“双方頑張った良い試合なので両方勝ち”では終われないルールがあり、必ず勝者と同じ数の敗者がいる。大会だったら、優勝者以外は全員が敗者です。
負けた時にするべきは、後悔でも犯人探しでもなく、“修正”です。負けるときにはどこかに必ず修正可能なエラーがある。それを探し出してその過ちを修正し、補強して進化する。負けないと学ぶチャンスがない。サッカーに限らず全ての分野において、成功者には必ず、過去の失敗で負った無数の傷跡があるはずです。勝ち続けていたらそれ以上先には進めませんが、負けの痛みと引き換えに、修正のチャンスを手に入れる。失敗の足し算の先にしか、成功はないのです。
―――ご自身はどうでしたか。
実際私は監督として試合に負けると、全ては自分のせいとしか思えず、ものすごく苦しみます。眠れなくなるし、ひどい顔つきになる。外に出れば、通る人皆が自分を責めているような気がして顔を上げられない。いろいろ分析をして冷静になろうとしても、慰められても、どうしようもない。これは言葉では説明できない位にひどい苦痛です。立ち直るための処方箋はなく、自分一人だけで考えるしかない。年を取るとますますきつくなってきました。若いころは、がむしゃらな無謀さがそれを和らげたのですが、負ける痛みに関しては、年齢は全く助けになっていません。
―――定期的に精神的に追い込まれるその仕事を、やめたいと思ったことはないのですか。
サッカーの監督という仕事は、ある意味、世界で最もきつい職業の一つだと思います。誰もが監督目線で試合を観ますから。この頃のネット社会では、批判はすぐに発信され拡散し、矛先は監督です。国によっては、勝敗は監督や選手の生死にさえ関わってくる。
それでも続けられるのは、次の試合があるからです。サッカーは、勝っても負けてもその日に終わる。今日の真実が、明日の真実にならない。今日の結果がどうあれ3日後にはまた別の試合が来る。世界中のどんなスポーツでもそうですが、絶対的に強い相手に対してでも「今日自分は100%負ける」と思って試合に向かう選手や監督はいない。「勝てるかも」という気持ちはわずかでも必ずあって、全力で勝とうとする。
そして、勝った時のあの喜び、これは日常生活では味わえないとても強い達成感です。一度でも経験すると、どうしてもまたそこに行きたくなる。また挑戦したくなる。負けの苦しみと勝つ喜びの差が両極端なのですが、明日また試合がある限り希望が消えない。だからやめられないのです。
―――監督業とワインは、比べる対象ではないのですね。
別ものです。ワインというよりブドウ畑をやっている、というほうが私の実感に近く、ワインはその産物です。ブドウ畑での仕事は、一人静かに自然と自分とに向き合える時間で、自分のバランスが取れる。公的で常に人に囲まれ、周りに表現し続けるサッカー監督の世界と全く違う。何かを創る、のは同じですが、新しいモノづくりの喜びを発見できて幸せです。できたワインはまた、人々と分かち合うもので、ブドウ畑の仕事は、私にとっての哲学のようなものです。
2014年からボルドーのサンテミリオン地区でトルシエ氏が作る赤ワイン。グランクリュの“ソルベニ”(SOL BÉNI 343)は日本でも入手可能。 ソルベニとは、氏が30年前にフランスを出て初めて監督として仕事をした、アフリカのコートジボワールのチーム練習場の地名“祝福された地”。そこから始まった、という思いが込められている。エチケットには、サッカーゴールと氏の戦術代名詞フラット3の布陣“343”の数字が入っている。
―――トルシエさんのように大きな仕事を達成してしまうと、その後の人生では何が生きがいになるのですか。
私は64歳ですが、我ながら、自分の魂は子供のままだと思います。一日一日、別の新しいエネルギーが出てくる。毎日同じ選手と同じサッカーをしていても、繰り返している気がしない。朝起きると「さあ今日は何をしよう!」と子供のように思います。その日は昨日とは違うので、何でもできる気分に、毎朝なります。アイディアが次々に出てきて、試してみるとまた新しい展開が開けて行く。
確かに自分は“サッカー選手になる、W杯に出る”という子供のころからの夢を、運よく実現することが出来ました。しかし私は選手としては大成せず、指導者に転向し、監督となってからはフランスを出てアフリカへ行き、振り返ってみれば、何度も大きな決断をして進んできました。夢をかなえるまでの道に、決められたコースはない。幸運はただ待っていてもこないでしょうが、運命は、こちらからけしかければ、動き出すことがある。それは、夢を持つ誰にでも起こりうる。“人生にチャンスはある”と伝えることが、仕事になりました。
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この国では長い間、人々が夢を持つことは難しいことだった。しかし今日、ベトナムは夢を持って力強く新しい時代に突き進んでいっている。ベトナムがサッカーW杯に出場し、国中が赤い歓喜の色に包まれる日は、近い将来きっとくるだろう。今グラウンドを走る少年たちの何人かは、その時、代表選手になっているかもしれない。しかしその一方、ほとんどの少年たちは、かなわなかった夢と現実とに向き合うことになる。
傷を負っても、それはより強くなるチャンスで、明日の試合は今日の結果とは関係ない。“それぞれの次の試合をあきらめない、一人の強い人であれ”と、トルシエ氏はここで、少年たちに懸命に伝えようとしている。
実際にお会いしたトルシエ氏は、紳士だった。185cmと背が高く、スポーツマンらしい明るさと、勝負の世界で戦い抜いてきた人ならではのオーラがある。取材の日、時間通りに到着したのに、事前に来ていた私に待たせたことを詫び、長いインタビューの間、あらゆる質問に嫌な顔一つせずに、丁寧に答えてくれた。
「自分の運の良さは試合に使うので、宝くじも賭けゲームも一切しない」し、孤児院などへの多くの寄付活動や、チャリティイベント参加もできる限りしている。「スポーツの世界ではもともと誰もがアマチュアで、有名選手や監督にあこがれ、目標にしている。私自身もそうでした。だから見られる立場にある人間は、子供たちの夢を裏切らない義務があります」と語る。全ては記せなかったが、真面目でまっすぐな人柄が伝わってくる話が数多くあった。
質問をすると、意図をすぐに読み取り、例え話などを取り入れながら、とてもわかりやすく答えてくれる。同時に、誇張の全くない自然体であることも驚きだった。長い間文化も言葉も異なる外国で、自分の意図を正確に相手に伝えようと努めてきたせいだろうか、伝達力がとても高く、また伝えるだけでなく、聴こうとする。インタビュアーである私や、偶然居合わせたフランス人青年にも、なぜハノイにいるのか、これについてはどう思うか、など様々な素朴な質問を問いかけ、真剣に耳を傾ける。
話を伺っていたハノイのカフェでは、「もしやあなたは、フィリップ・トルシエさんではないですか?」と見知らぬコートジボワール人の男性が興奮した様子で歩み寄ってきた。私に、「マダム!この人がどんなにすごい人かご存知ですか!皆この人を今も尊敬していますよ!コートジボワールのサッカーを作ったのは、この人なんです!」と大変な勢いで話しだした。トルシエ氏は嫌がるそぶりもなく、男性が語る30年前の試合の詳細(前半で誰誰がシュートを入れて、それを誰がとめて等々)に耳を傾けていた。「最初はまさにライオンの調教師でしたね、選手たちは気を抜いたらいつでも襲い掛かって来そうな緊張感があった(笑)」「そうでしょう、そうでしょう、なのにあなたは彼らの信頼を得て、白い魔術師と言われるまでになったのですからね」等々の昔話の後、トルシエ氏は「ところであなたは今ハノイで何をしているのですか」と逆に彼に質問し、返事に感心したりもしていた。
「この人はコートジボワールでも協会上層部を怒らせ、W杯予選の最中に解任されました。でもファンは皆わかっていましたよ、彼がどれだけ本気で私たちの国を強くしようと力を尽くしていたか。あの時、彼が代表監督を続けてくれていれば私たちはW杯に出られた、と今でも皆思っている。それから後のある試合の後、スタンド中が立ち上がりトルシエ元監督へのスタンディングオベーションとなった光景は、今思い出しても鳥肌が立ちます。2006年、2010年になっても、代表監督に戻ってきてほしいという声が上がりました」。 (コートジボワールのエルベ氏談) エルベ氏は、ワインの名前がコートジボワールのチームASECの練習場“ソルベニ”だと知ると、「信じられない」と目を見開いた。
外国人が、国を代表するチームをつくりあげ、国の威信をかけて他国と戦う、という仕事は、思えばかなり特殊なミッションだ。サッカー愛、人間愛なしには難しい仕事だろう。その上にそれぞれの国の、巨大な“全体”圧力がのしかかってきたに違いない。しかし彼は、どんなに追い込まれても“個”を消さずに主張した。そしてピッチの外では、フィリップ・トルシエという一人の人間として、驚くほどに謙虚に、他者や世界への好奇心を持ち続けている。“旅人”であり続けていることも、個性と謙虚さと好奇心とを保てる理由の一つかもしれない。どの国にも一人で行き、マネージャーや代理人はつけたことがなく、今も全てを自分自身で決めている。
「自分はどうも物事のポジティブな面しか考えない。ハッピーエンドしか想像できないところがある、ちょっと変わっているのかもしれない」と笑う。
トルシエ氏の話を聞いているうちに、「昨日も今日もしんどくても、明日は全く新しい。世界は広く、明日の試合には勝てるかもしれない」気がしてきて、にわかに元気が出てきた。
パリの自宅に、30年以上連れ添う夫人と、モロッコの孤児院から引き取ったお嬢さん2人の家族がある。毎日ビデオ会話を欠かさない。「もうここ20年くらい単身赴任です」と愛する家族と離れて暮らすことを語るときだけは、少し寂しそうだった。 日本代表監督をまた頼まれたら受けますか、と問うと「ウイですよ、でも頼まれませんよ」と笑い「Jリーグならあり得るかな、長い旅のような自分のキャリアの最後が日本というのも良いかもしれない」とにこっとした。
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フィリップ・トルシエ氏略歴
フィリップ・トルシエ(Philippe Troussier)
1955年3月21日、パリ生まれ。
プロのサッカー選手としてフランス国内リーグ所属後、28歳で監督業に転向。1989年にアフリカのコートジボワールに渡り、一部リーグのアビジャンASEC監督就任。1993年コートジボワール代表監督。その後モロッコのリーグチーム、ナイジェリア、ブルキナファソ、南アフリカ代表監督を経て1998年に日本代表監督に就任し訪日。U20代表、U23オリンピック代表監督を兼任。1999年U20W杯準優勝、2000年シドニー五輪ベスト8、アジアカップ優勝、2001年コンフェデ杯準優勝。2002年のW杯で日本代表を史上初のベスト16に導き退任。
その後、カタール代表監督、フランス1部リーグのオリンピック・マルセイユ監督、モロッコ代表監督などを歴任し、訪越前は中国サッカー・スーパーリーグの重慶当代力帆足球倶楽部のスポーツディレクター。2018年8月よりPVF(ベトナムサッカー才能育成基金/Promotion fund of Vietnamese football talents)の技術統括ディレクター。ハノイ市在住。
Twitter:https://twitter.com/sol_beni_3_4_3
【Text & Photo by Miwa ARAI(ライター)】
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