(C) Mai Thanh Hai, Thanh Nien 写真の拡大 |
(C) Mai Thanh Hai, Thanh Nien 写真の拡大 |
1988年3月14日午後、ガックマー沖で行方不明になっている兵士の名前がラジオで読み上げられた。その中に、フオンさんの名前もあった。ホアさんは信じることができず、夫の無事を祈ったが、数日後に戦死しシントン島で埋葬されたとする公報が手元に届いた。翌1989年には、フオンさんに武装部隊の英雄の称号が授与された。
母と祖母の手で育てられたトゥイさんは勉学に励み、2006年にクアンビン省のクアンビン大学に合格し、ベトナム学を専攻した。2009年に卒業すると、「武装部隊の英雄の1人娘」であることから、カインホア省人民委員会主席よりチュオンサ郡人民委員会での事務の職を与えられた。
2010年3月にトゥイさんは同省人民委員会と海軍が主催する親類のチュオンサ諸島訪問に招かれた。ガックマー海域に着いたと知らせる船内放送を聞いたトゥイさんは甲板へ出て海に目をやった。携帯電話を手に取り「お父さんが命を捧げた場所に着いたよ。私にはお父さんが見えるよ、お母さん」とトゥイさんは沖で待つ母に涙声で伝えた。
チュオンサ諸島訪問から帰った当日の夕方、トゥイさんは父と同じ道を歩みたいと海軍への入隊志願書を書いた。そして、2010年半ばにトゥイさんはかつて父が従事していた第146旅団で勤務することになったのだ。
トゥイさんの夫グエン・ホー・ハイさんは、農業農村開発省漁業部門の漁業管理職員として毎日巡視船に乗って南中部沿岸地方ビントゥアン省フークイ沖からチュオンサ諸島の海域を巡視している。ハイさんの父も海軍中佐であり、トゥイさんハイさん夫妻はカムラン地域で「海を守る一族」として知られている。夫妻には娘が2人おり、長女の名前は海軍に因んで「ネイビー(Navy)」というそうだ。