(C) vnexpress, TTXVN、共同組合に売られる豚の重さを量る様子 写真の拡大 |
(C) vnexpress, Hoang Phuong、自転車の所有証明書 写真の拡大 |
公衆トイレは100人に対して3か所だった。朝早くから皆新聞を手に長い列を作った。長く待ちすぎて我慢できなくなり、家に駆け込んで間もなく平然と仕事に行く人もいたが、どうやって解決したのかはわからない。
給料が安くて生活できなかったため、公務員や教員までもが騒がしい街中で豚や鶏を飼った。どの家もどの人も、集合住宅に住む人までも豚を飼った。「豚様」は浴室やトイレなどで大切に世話をされ、病気にでもなろうものなら配偶者や子供よりも心配してもらえた。
また当時、プジョー(Peugeot)やフェイバリット(Favorite)、スーパーカブ(Supercub)、バベッタ(Babetta)などの二輪車は「スーパーカー」と見なされていた。
購入したら登録に行き、警察から所有証明書とナンバープレートを発行してもらわなければならなかったが、「スーパーカー」に乗ってさえいれば、男性は必ず女性を口説き落とせた。更に、持っている車が男性のランクを決めた。
多くの人にとって、配給時代というのは忘れ去りたい記憶である一方、思い出すに値する記憶でもある。
「誰もが困難な時代だったので、自分の苦境も特別なことではありませんでした。一番思い出すのは、当時の人々の清い精神と、貧富の差があまりなかったことです」と教育者のバン・ニュー・クオン助教授は振り返った。