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ベトナムの普通の村の住民にとって、人に雇われて働いたり、バイクタクシーの運転手をしたり、海に漁に出たりすることはごく当たり前のこと。ところが北中部トゥアティエン・フエ省フォンディエン郡フォンハイ村では、これが珍しいことだったという。
フォンハイ村は海に面した小さな漁村だ。ドイモイ(刷新)政策実施前の1980年代前半の時期、同省内の多くの漁村と同じようにこの村の人々も、海を越えて国外に脱出するか、国内に留まって飢餓に耐えるかの選択を迫られ、多くの人が死の危険を冒して国外脱出を選んだ。この村に"異変"が起きたのは、それからおよそ10年後、脱出組が送金を始めてからのことだ。
国内に残った村人たちは、それまでの窮乏生活の埋め合わせをするかのように、一斉に仕事を放り出し遊びにほうけ出した。フォンハイ村の住人タンは「米国に渡った家族や親戚からの送金額は多かった。それからは誰も漁に出ようなんて思わなくなった。当時は1日中働いたって1米ドル(約82円)も稼げなかったからね。金の心配など一切せずに、料理をたらふく食い、酒をがぶ飲みし、舶来たばこを吹かす毎日だった」と話した。
食欲が満たされた村人たちは自宅の建て替えに取り掛かった。誰の家が大きいか、立派かの競争状態になり、建て替えたばかりの家を壊してまた建て替えるなどということも少なくなかったという。建て替えブームが終わると、今度は墓や先祖の祭壇などの建築競争が同じように繰り返された。「皆、頭がどうかしていたかもしれない。でもこの建設ブームのおかげで周辺の村の人たち数千人の懐が潤った」とタン。
しかし2008年の世界経済危機発生後、米国経済が衰退していることを反映して、米国在住の家族や親戚からの送金額はがたんと減ってしまった。フォンハイ村人民委員会のレ・バン・トゥ主席によると、以前は年間約100万米ドル(約8200万円)送金されていたが、今では10分の1の平均10万米ドル(約820万円)だという。「自分が苦労して稼いだ金を送金しても、この村で浪費されてしまうことにあきれてしまったのだろう」。トゥ主席はこう分析した。
"援助"を打ち切られたフォンハイ村の村人たちは、再び仕事を始めた。かつてのように漁にも出るが、エビの養殖、ヌックマム(ベトナム魚しょう)の生産、漁船の造船などの事業がこの村で行われており、中でもエビの養殖は成功している。トゥ主席は「送金が減ったからといって、フォンハイ村が以前より貧しくなったと思うのは間違いだ。送金を受け取れない人もいたから、この村の以前の貧困世帯率は20%以上あった。今では4.46%まで減っている」と誇らしく語った。