米国人ブルース・ウェイグルは私(詩人グエン・クアン・ティエウ)に会うたび、彼が13年前にベトナムを訪れた時の忘れがたい印象を繰り返し話す。彼は養子にする子どもを迎えにベトナムを訪れたのだが、ビザが切れていることにまったく気付いていなかった。彼の頭の中はただ一つ、養子にする子どものことで一杯だった。入国管理局の職員は、次の米国行きの便で引き返すように言った。
彼はこのままでは養子にするつもりだった子どもを失ってしまうのではないかと恐れおののいた。その日、私と詩人ファム・ティエン・ズアットは空港にブルースを迎えに来ていたが、彼は私たちを見つけて目に涙を浮かべて喜び、「子どもを失ってしまう! 助けてくれ!」と叫んだ。彼の顔には恐れと不安が浮かんでいた。その夜、私はビザ発給部局の幹部職員にブルースの話を語って聞かせることで、彼の滞在許可を得ることに成功した。
ブルースは当時8歳だった少女ハインを米国に連れ帰ることができたが、その途中で誰かにハインを奪われてしまうのではないかと四六時中心配していた。米国ボストンでの暮らしでも、ハインの帰りが遅くなると仕事をほうり出して探し回るほど目をかけて育てた。しかしハインが16歳になった時、彼は彼女がベトナムへ1人で行くことを許した。彼女が実の父親を探すことを望んだからだ。
ブルースは、血のつながりはかけがえないものだと話し、父親探しに出かけるハインを励ました。彼女がベトナムに出発する直前、ブルースは私に電話をかけてきてハインの面倒をみてやってほしいと頼んだ。異国の地で父親を探すのには彼女はいささか若過ぎると心配したからだ。ハインは私にあった際、顔も覚えていない実の父親のことを、うまく話せなくなってしまったベトナム語で懸命に語った。
先月ボストンでハインに会った時、彼女は父親ブルースのことを愛しているけれども、理解できるようになったのは2年ほど前のことだと打ち明けた。ある吹雪の夜、ハインを車で迎えに行った帰り道で、1人の黒人男性から車に乗せて欲しいと頼まれたことがあった。ブルースは彼を車でおくってやったが、その男性はありがとうの一言も言わなかった。ハインは怒って、ブルースを責めた。
するとブルースはおだやかにこう言った。「私たちは感謝してもらうために人を助けるのではない。感謝を求めた瞬間、自分の良心は消えてなくなってしまうものだ」。その夜ハインは眠れず、その時初めて養父のやさしさを知ったのだという。
ハインは今ではブルースを誰よりも慕っている。彼女は今年大学を卒業したが、その後はベトナムで英語を教えながら、ベトナム語とベトナムの文化をさらに勉強することにしている。ブルースは彼女のこの決断をとても喜んでいる。
ブルースは私に会うと必ず、ハインのベトナム語が上達したかどうか尋ねる。平凡な質問だが、彼は私の答えをとても重要なもののように待ち、私が彼女のベトナム語をほめると、パッと顔を輝かせる。ブルースは私にこう語った。「ハインがベトナム語を愛さないことは、ベトナムの文化を愛さないことに等しい。そして自分のルーツを愛せない人は誰のことも愛せない」と。