「チャーキエウは林邑の都であり、サーフィン文化から初期国家(チャンパ)への変遷のプロセスは、中部地方の他の地域よりも先に、クアンナム省とダナン市の地域で生じた可能性があると考えています。チャーキエウの考古学的な年代の枠組みを構築することは、北中部地方と南中部地方に存在する林邑の関連遺跡との比較研究においては不可欠であり、これはまた、考古学的な観点と方向性から林邑の歴史を見直すことにもつながります」。
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山形氏らの考古学調査・研究の成果としての重要な遺物の数々は、クアンナム省ズイスエン郡にあるサーフィン・チャンパ文化博物館に展示されている。これらの研究成果は、ベトナムと日本をはじめ、世界各国の学術雑誌に論文が掲載されているほか、出版もされている。
土地への愛と人への愛
研究において重要な功績を残してきた山形氏は、ベトナムの多くの友人や考古学者の仲間たちからサポートを受けてきた。特に、チャーキエウが位置するクアンナム省ズイスエン郡の地元住民との縁も深い。
中でも、ベトナム人女性考古学者の故グエン・キム・ズン氏は、山形氏がチャーキエウに関わるようになってから30年間にわたり山形氏をサポートし続け、2人は共に調査・研究を行い、固い絆で結ばれていた。
山形氏いわく、これまでにたくさんの土地を訪れてきたが、その中でもズイスエンの人々、そしてクアンナムの人々の大きな愛情が心に残っているという。
ズイスエン郡文化スポーツ部のズオン・ドゥック・クイ元部長は、山形氏が初めてチャーキエウを訪れたころのことを振り返り、こう語る。
「先進国からやって来た眞理子にとって、インフラも整っていない環境での仕事はさぞかし大変だったことでしょう。でも、彼女はそんな環境をも乗り越えました。眞理子はベトナム語を聞くのも話すのもとても上手ですし、仕事をするときの彼女は信条があり、律儀で素朴で、誰からも本当に愛される、そんな人です」。
過去30年間に山形氏は、チャーキエウの初期の年代の枠組みを構築したほか、チャーキエウが林邑の都であったこと、サーフィン文化から初期国家への変遷のプロセス、さらには他の文化との比較研究を通じてチャーキエウの地域とベトナム中部・北部の他の地域との関係性を明らかにするなど、大きな功績を残してきた。
それだけではない。山形氏は、ベトナムと日本の若手研究者たちをつなぎ、指導を行ってきた。このように、情熱に溢れ、素朴で思慮深い山形氏は、クアンナム省の地に重要な貢献をしてきた考古学者の1人となっている。