トゥアンさんの息子は22歳で、戦争が勃発したときはハルキウの治安部隊に配属されて間もないころだった。任務は、平時とはまったく異なるものとなった。そのため、息子が仕事に出かけるたびに、トゥアンさん夫妻は不安を募らせた。
(C) dantri |
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「ロシア軍がハルキウに侵入してきた当時、息子はまさにハルキウの玄関口にいたんです。爆発音が聞こえるたびに彼にメッセージを送り、返信がくると安堵のため息をつく日々でした」とトゥアンさん。
トゥアンさんたちだけでなく、戦地に赴いたり、現場に立ったりする子供を持つ親たちは皆、同じように心配し、何とかして最速の方法で連絡を取り合おうとしていた。
トゥアンさん一家はマンションの1階に住んでいる。マンションの隣には別の高い建物がある。「もしもロシア軍に攻撃されても隣のビルが壁になるので、わずかながらも自宅に留まるときの安心材料になっています」とトゥアンさんは話す。
これまでの300日を振り返ると、トゥアンさんはやはり最初のころが一番大変だったと語る。当時、息子は危険な仕事に出かけ、最前線に赴き、夫妻と12歳の娘は自宅で過ごした。爆発音とサイレンが1日中絶え間なく鳴り響き、たびたび停電し、外出禁止令で移動も難しかった。通りに出れば、攻撃への恐怖でいっぱいだった。
サイレンが鳴るたびに娘を抱いて地下シェルターに駆け下りた。必死で走りながらも、娘が怖がらないよう、また後に娘のトラウマにならないよう、何か面白いことを言おうと頭を働かせた。一家の大黒柱として、家族が不安にならないよう、怖がらないよう、トゥアンさんはいつも自分の心の中の感情を抑えていた。
後編に続く