現在、第1フオイコン地区には68世帯が暮らしており、いずれも貧困だが、中でもミンくんの家が最も貧しい。地区長のバン・アー・チョーさん(男性・32歳)によると、ミンくんの父親が亡くなった時、一家には葬祭費用もなかったため、近隣住民が少しずつお金を出し合って葬儀を行ったのだという。
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(C) vnexpress、(左から)ミンくん、ジンちゃん、姉の子供、テインくん |
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一家の財産は政府から与えられた2頭の水牛だけだったが、うち1頭は病気で死んでしまった。もう1頭は丘の田んぼで働いており、おかげできょうだいは米を食べることができている。
「両親がまだ生きていた頃は、生活は苦しくても食べるものはありました。でも今、彼らは塩を買うお金もなく、米がある時は小川の水でスープを作っておかずにし、米すらもない時には何も食べずに飢えを我慢しているんです。そんな彼らの姿を見ると涙が出てきます」とチョーさんは語る。
ミンくんはまだ13歳と若いながらもすべての家事をこなし、大人の男性のように弟妹を世話しているため、学校の先生たちからよく「若いおじいさん」と呼ばれている。
ミンくんによると、母親が出て行った日、ミンくんはただ黙りこくって、それから大声で泣くことしかできなかったという。帰りたい場所だった家は寒々しくなり、食事を作ってくれる人もいなければ台所に米もなく、地面で焚いた火の上に心もとなく置かれた鍋があるだけだった。あの日、ミンくんは幼い2人の弟妹に食べさせる米を近所から少し分けてもらい、それから歩いて学校に行った。
「母が出て行った時、母は僕たちが食べる物も置いていかず、僕たちは1日中飢えている日もあったので、本当に母のことが嫌になりました。でも今は、母が恋しいですし、帰ってきてほしいと思っています」と、ミンくんは溢れる涙を手で拭いながら打ち明けた。
両親がいなくなって2年の間、夜になると幾度となく妹が泣きながら「どうしてお母さんは帰ってこないの?」と聞いた。ミンくんはどう答えればいいのかわからず、黙っていた。妹が泣けば泣くほど、ミンくんはただ「寝なさい」としか言えなくなり、自分もじっと横になって涙を流した。