夫にガソリンを掛けられ、火をつけられたために身体の92%に火傷を負い、生死の狭間をさまよったレ・ティ・キム・ガンさん(女性・34歳)は、その後の2年間に様々な困難を乗り越えながら、新しい生活を築いた。
(C) vnexpress |
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ある週末の朝、ガンさんは新しくオープンする店の開店式で使うお供え物を市場に買いに行くため、早く起きた。母親のガンさんが新しい服に着替えているのを見て、2人の息子も一緒に行きたがった。市場に向かう途中、バイクを運転する母親にぎゅっと抱きつき、8歳の息子は「今日みたいにきれいな服を着ているお母さんが好き。昔と同じくらいきれいだよ」とささやいた。
少し長いため息の後にガンさんは微笑み、2年前の3月の夜に聞いた、夫が手にしていたライターの音を思い出して目を赤くした。当時、重度の結核を患っていた夫は、サッカー賭博で負けて借金の取り立てに追われており、自宅にガソリンを撒いて火をつけ、妻と子供たちを巻き添えにして心中を図った。
火の海の中でもガンさんは何とか意識を保ち、鍵を探してドアを開け、2人の子供たちを引っ張り外に出て、近所の家に駆け込んだ。ガンさんが着ていた服は燃え尽き、かろうじて2人の息子といくつか言葉を交わして気を失った。その時、ガンさんは「自分は死ぬだろう」とも思ったが、身体の92%を火傷しても奇跡的に生き残った。
事件後、ガンさんは南中部沿岸地方フーイエン省からホーチミン市に移送され、治療を受けた。最初の10日間、ガンさんは両目以外の身体中の皮膚が包帯で巻かれた状態で、ベッドの上で身動きがとれないまま横たわっていた。1か月間の入院中、ガンさんはほぼ毎晩、自宅が燃えている夢を見た。
退院後、ガンさんは家族が壁に取り付けてくれた鉄の棒につかまり、子供のように少しずつ歩く練習を始めた。助けてくれる人がいない中で何度も転倒し、身体中の傷跡からは血が滲んでどこもかしこも痛んだが、自分で起き上がるしかなかった。辛い日々の中で、ガンさんは何度も自殺を考えたが、心の奥では生きていつか夫に再会し、「私が何か悪いことをした?なぜあんなことをしたの?」と聞きたい思いもあった。
最初の4か月間、ガンさんは生活の全てを親族に頼らなければならなかった。当時9歳と6歳だった2人の息子たちも市場に買い物に行き、簡単な料理も練習して母親をサポートした。度々、2人で一緒に母親をトイレに連れて行ったりもした。
ある日、2人の息子が学校から帰ってきたちょうどその時、ガンさんは火事の後初めて、足を引きずりながらも自分で短い距離を歩くことができた。息子2人は背負っていたリュックを地面に放り投げてガンさんの元に駆けつけ、母親を抱きしめながら泣いて喜んだ。