吉報を受けたボカサ大統領はすぐにベトナムから中央アフリカ共和国の首都バンギに行く片道切符を買い、2500フラン(現在のレートで27万3000円)と併せてマルティーヌに送るようフランス政府に要請した。
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1970年11月26日午前3時にマルティーヌがバンギに到着すると、賑やかな楽器演奏のなかボカサ大統領と高官らが出迎え、ボカサ大統領はマルティーヌを力強く抱きしめた。ベトナム語しか知らず現地のダンスも踊れず戸惑いを隠せないマルティーヌに、ボカサ大統領はベトナム語で継母やマルティーヌの兄弟を紹介した。
父娘の再会はハッピーエンドで終わったかのように見えた。ところが奇跡の再会から1か月も経たないうちに、サイゴンの日刊紙が「バンギにいるマルティーヌはボカサ大統領の本物の娘ではなく、フランス政府がボカサ大統領を辱めようと故意に仕立てた偽者だ」と報じたのだ。
事実、当時はベトナム人とアフリカ人の間に生まれた子どもは少なくなく、フランス映画の人気女優だったマルティーヌ・キャロルから取ってマルティーヌと名付けられた少女が多くいた。
この報道を受けて、ボカサ大統領との間に「マルティーヌ」という名の娘を儲けたベトナム人女性のグエン・ティ・フエ本人が声をあげた。フエは友人の新聞記者を介してボカサ大統領に電話で連絡を取り、自分とボカサ大統領が一緒に写った写真とマルティーヌの出生証明書を公開し、自分がボカサ大統領と夫婦のような関係にあったこと、そして自分の娘こそがボカサ大統領の本物の娘のマルティーヌであることを訴えた。
フエのアピールにより、ベトナムで工員をしていたマルティーヌがフエとボカサ大統領の間に生まれた本物の娘だと認められ、無事にベトナムからバンギに渡ることとなった。一方で、ボカサ大統領は先にバンギに渡っていた偽マルティーヌを国外追放に処すつもりで一度は投獄したものの、50歳の誕生日を機に偽マルティーヌに対する慈悲として正式に養女として迎え入れることにした。
その後、本物のマルティーヌは「大きなマルティーヌ」、偽マルティーヌは「小さなマルティーヌ」と呼ばれるようになった。2人のマルティーヌは一緒に暮らし、同じ服を与えられた。大きなマルティーヌは商才に長け、1972年に中央アフリカ共和国でベトナム食品を販売する商店を開業し成功した。