インタビュー後記
(C) Miwa.A |
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実際にお会いしたトルシエ氏は、紳士だった。185cmと背が高く、スポーツマンらしい明るさと、勝負の世界で戦い抜いてきた人ならではのオーラがある。取材の日、時間通りに到着したのに、事前に来ていた私に待たせたことを詫び、長いインタビューの間、あらゆる質問に嫌な顔一つせずに、丁寧に答えてくれた。
「自分の運の良さは試合に使うので、宝くじも賭けゲームも一切しない」し、孤児院などへの多くの寄付活動や、チャリティイベント参加もできる限りしている。「スポーツの世界ではもともと誰もがアマチュアで、有名選手や監督にあこがれ、目標にしている。私自身もそうでした。だから見られる立場にある人間は、子供たちの夢を裏切らない義務があります」と語る。全ては記せなかったが、真面目でまっすぐな人柄が伝わってくる話が数多くあった。
質問をすると、意図をすぐに読み取り、例え話などを取り入れながら、とてもわかりやすく答えてくれる。同時に、誇張の全くない自然体であることも驚きだった。長い間文化も言葉も異なる外国で、自分の意図を正確に相手に伝えようと努めてきたせいだろうか、伝達力がとても高く、また伝えるだけでなく、聴こうとする。インタビュアーである私や、偶然居合わせたフランス人青年にも、なぜハノイにいるのか、これについてはどう思うか、など様々な素朴な質問を問いかけ、真剣に耳を傾ける。
話を伺っていたハノイのカフェでは、「もしやあなたは、フィリップ・トルシエさんではないですか?」と見知らぬコートジボワール人の男性が興奮した様子で歩み寄ってきた。私に、「マダム!この人がどんなにすごい人かご存知ですか!皆この人を今も尊敬していますよ!コートジボワールのサッカーを作ったのは、この人なんです!」と大変な勢いで話しだした。トルシエ氏は嫌がるそぶりもなく、男性が語る30年前の試合の詳細(前半で誰誰がシュートを入れて、それを誰がとめて等々)に耳を傾けていた。「最初はまさにライオンの調教師でしたね、選手たちは気を抜いたらいつでも襲い掛かって来そうな緊張感があった(笑)」「そうでしょう、そうでしょう、なのにあなたは彼らの信頼を得て、白い魔術師と言われるまでになったのですからね」等々の昔話の後、トルシエ氏は「ところであなたは今ハノイで何をしているのですか」と逆に彼に質問し、返事に感心したりもしていた。
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「この人はコートジボワールでも協会上層部を怒らせ、W杯予選の最中に解任されました。でもファンは皆わかっていましたよ、彼がどれだけ本気で私たちの国を強くしようと力を尽くしていたか。あの時、彼が代表監督を続けてくれていれば私たちはW杯に出られた、と今でも皆思っている。それから後のある試合の後、スタンド中が立ち上がりトルシエ元監督へのスタンディングオベーションとなった光景は、今思い出しても鳥肌が立ちます。2006年、2010年になっても、代表監督に戻ってきてほしいという声が上がりました」。 (コートジボワールのエルベ氏談) エルベ氏は、ワインの名前がコートジボワールのチームASECの練習場“ソルベニ”だと知ると、「信じられない」と目を見開いた。