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しかし、ガックさんはそれでもなお、あの死亡通知書はただの間違いで、息子2人は生きているのだという希望を抱いていた。戦争が終わって平和が戻り、どこからか軍人が故郷に帰ってくるという知らせを耳にすると、どんなに身体が重くても急いで外に駆け出して行った。
村には、死亡通知書が届いたにもかかわらず無事に帰郷した人もいたため、人々の期待はますます高まった。眠れない夜はドアの外に座り、門のほうを見つめながら、「トックとバンが帰ってきて、遠くのほうから『お母さん』と呼びかけてくれる」、そんな瞬間を想像した。
しかし、何年待っても何の結果も得られず疲れ果てたガックさんは、ようやく息子2人の祭壇を置くことにした。バンさんは、以前に撮影した1枚の写真が残っており、それを拡大して遺影にした。一方のトックさんは写真がなく、祖国への功績を称える証明書を遺影の代わりにした。
2014年6月25日、ガックさんはベトナム政府から、子供が戦死した母親に与えられる「ベトナム英雄の母」の称号を授与された。
しかし、トックさんの写真がないことで、ガックさんは決して慰められることのない苦しみを感じていた。ガックさんはよくトックさんの話をし、家族にもトックさんの顔の特徴を思い出させていた。いつの日か自分が死んだら、誰もトックさんの顔を覚えていないのではないかと怖かったのだ。
トックさんの死亡通知書が届いてから40年近く経った2008年、家族は南中部高原地方ラムドン省ダラット市の墓地に、トックさんの墓を見つけた。
遺骨を故郷に連れて帰った日、ガックさんは涙が枯れるまで泣いた。ガックさんいわく、前日の夜に軍服を着た若い男性が枕元に立っている夢を見たが、男性は何も言わなかったのだという。
目が覚めたとき、トックさんが挨拶をしに帰ってきたのではないかと思ったが、翌日に改めて考えてみると、やはりバンさんのほうだったかもしれない、と思ったそうだ。バンさんは、兄のトックさんのように故郷に帰れず、残念に思っているに違いないからだ。