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[特集]

帰らぬ息子たちを待ち続けて半世紀、109歳の「ベトナム英雄の母」

2024/09/15 10:15 JST更新

(C) VnExpress
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 北部紅河デルタ地方ハイズオン省在住のグエン・ティ・ガックさん(女性・109歳)は、高齢になって多くのことを忘れてしまった。しかし、食事の時間に自宅の門のほうに向かって大声で「トック、バン、ごはんよ」と呼びかける、それだけは決して忘れない。

 ガックさんの息子、ダン・ゴック・トックさん(1936年生まれ)とダン・バン・バンさん(1947年生まれ)は、ともにベトナム戦争で犠牲になった戦争烈士(戦死した軍人・従軍者)だ。兄のトックさんは2008年に墓が見つかり、故郷に連れて帰って埋葬できたが、弟のバンさんについては何の手がかりも得られていない。

 以前は、息子たちに電話をかけることもできず、ガックさんは自己憐憫に陥り、座って泣くばかりだった。高齢になった今は、色々なことを時々思い出したり時々忘れたりといった具合だが、それでもいつも、夫のダン・バン・ティエンさん(113歳)に「息子2人は今『B』に行っているから、平和が訪れるのを待って、ごはんを作ってやらないと」と話している。

 夫婦の末の息子で、ハイズオン省タインミエン郡ホンクアン村在住のダン・スアン・チャンさん(74歳)によれば、兄2人が戦争に行ったころ、家族はまだ貧しく、お腹いっぱいにごはんを食べることなどほとんどできなかった。そのため、母親のガックさんは美味しいものが食卓に並ぶたびに兄2人のことを思い出していたという。

 夫婦には5人の子供がいるが、トックさんとバンさんは長男と次男だ。トックさんはかつて軍に所属し、復員したが、30歳を過ぎてから自ら志願して軍に再び入隊した。トックさんには妊娠中の妻と、2人の子供がいた。一方のバンさんは、17歳で戦争に行った。

 息子2人が戦争に行ってから、夫婦は残された3人の幼い子供たちに与える1日2食分の収入を得るため、米作りから家畜の飼育まで、何でもこなした。

 戦争に行った息子2人からは、手紙の1通も届かなかった。1968年、家族はバンさんの死亡通知書を受け取った。そしてその2年後には、トックさんの死亡が知らされた。

 ガックさんはあまりの悲しみに打ちのめされ、食事をとることもできず、身体も弱っていった。ガックさんはやせ細り、薬も効かず、農作業を離れて家事をするだけになった。

 しかし、ガックさんはそれでもなお、あの死亡通知書はただの間違いで、息子2人は生きているのだという希望を抱いていた。戦争が終わって平和が戻り、どこからか軍人が故郷に帰ってくるという知らせを耳にすると、どんなに身体が重くても急いで外に駆け出して行った。

 村には、死亡通知書が届いたにもかかわらず無事に帰郷した人もいたため、人々の期待はますます高まった。眠れない夜はドアの外に座り、門のほうを見つめながら、「トックとバンが帰ってきて、遠くのほうから『お母さん』と呼びかけてくれる」、そんな瞬間を想像した。

 しかし、何年待っても何の結果も得られず疲れ果てたガックさんは、ようやく息子2人の祭壇を置くことにした。バンさんは、以前に撮影した1枚の写真が残っており、それを拡大して遺影にした。一方のトックさんは写真がなく、祖国への功績を称える証明書を遺影の代わりにした。

 2014年6月25日、ガックさんはベトナム政府から、子供が戦死した母親に与えられる「ベトナム英雄の母」の称号を授与された。

 しかし、トックさんの写真がないことで、ガックさんは決して慰められることのない苦しみを感じていた。ガックさんはよくトックさんの話をし、家族にもトックさんの顔の特徴を思い出させていた。いつの日か自分が死んだら、誰もトックさんの顔を覚えていないのではないかと怖かったのだ。

 トックさんの死亡通知書が届いてから40年近く経った2008年、家族は南中部高原地方ラムドン省ダラット市の墓地に、トックさんの墓を見つけた。

 遺骨を故郷に連れて帰った日、ガックさんは涙が枯れるまで泣いた。ガックさんいわく、前日の夜に軍服を着た若い男性が枕元に立っている夢を見たが、男性は何も言わなかったのだという。

 目が覚めたとき、トックさんが挨拶をしに帰ってきたのではないかと思ったが、翌日に改めて考えてみると、やはりバンさんのほうだったかもしれない、と思ったそうだ。バンさんは、兄のトックさんのように故郷に帰れず、残念に思っているに違いないからだ。

 「戦友の話によると、バン兄さんが加わっていた、東南部地方ビンフオック省でのその年の戦いはとても激しいものだったそうです。爆弾や銃弾が雨のように降り注ぎ、血も骨も皮も肉も、土と一緒になってしまったんでしょう」と、弟のチャンさんは語る。

 バンさんの墓は見つからないが、毎日見ることのできる古い写真はある。一方で、トックさんの遺骨は故郷に帰ってきたものの、写真はない。このことで、ガックさんは心を痛めてきた。かつての戦友たちの中にも、トックさんの写真を保管している人はいなかった。

 2024年7月、ハイズオン省で行われたプロジェクトの一環として、省青年団とボランティアグループの協力により、バンさんの写真が復元され、家族に贈られた。

 グループのリーダーのフン・クアン・チュンさんは、ガックさんのもとを訪問した際、もう帰らぬ息子たちにガックさんが「ごはんよ」と呼びかける姿を目にした。そこでチュンさんは、家族の記憶をもとに、写真のないトックさんの肖像画を描くことにした。

 そして2024年8月、トックさんの肖像画が家族に贈られた。しかし、実はその1週間前からガックさん夫婦は暑さで体調を崩しており、ガックさんは息子たちの記憶を語る気力もなく、肖像画を受け取って手に持ったまま、ただ黙っていた。

 夫のティエンさんはというと、時折トックさんとバンさんの遺影を眺めては、末の息子に「こっちがバンで、あっちがトックかね?」とたずねていた。

 ガックさんの人生最後の夢は、息子たちが帰ってくること、そして息子たちと一緒に食卓を囲むことだ。そこでボランティアグループは、遺影に加えて、食事を前にトックさんとバンさんが両親の隣に座っている様子を再現した絵をガックさん夫婦に贈った。

 109歳のガックさんと113歳のティエンさんは、寝床の横に飾ったこの絵を毎日眺めている。そして、意識がはっきりとしているときには、家族皆揃って毎晩食卓を囲んでいたころの懐かしい思い出を、2人で語り合っている。 

[VnExpress 06:00 02/09/2024, A]
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