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何かおかしいと気付いたホストファミリーの兄と姉が、箸の持ち方や、食べ始めるときの目上の人への声のかけ方を教えてくれた。さらに、食べ方や話し方、帰宅時の挨拶など、あらゆる礼儀作法も教えてくれた。
テト(旧正月)には、ホストファミリーが他の家族と同じように、ズオンさんにも新しい服を買ってくれた。「私は心を打たれ、感動し、だんだんと自分自身も変わっていきました」とズオンさん。
ズオンさんは週に数回、自転車をこいで7区にあるホストファミリーの縫製工房に通い、仕事を学んだ。しかし、ズオンさん自身、他の誰よりも作業が遅いことを自覚していた。
例えば、靴底を縫う作業に、一緒に仕事を学んでいる他の人は3週間しかかからない一方、ズオンさんは1か月以上かかってもまだ完成しなかった。しかも、縫い目はがたがたで、製品も丈夫でなかった。
「自分の頭がよくないことはわかっているので、いつも人に後れをとるんです。でも、勤勉さは賢さを補うことができます」とズオンさんは語る。ズオンさんは、皆が寝静まる真夜中になっても工房に居残り、先生に認めてもらえるまでノミの使い方や縫い方を練習した。
通常は5年ほどで靴作りの仕事を習得できるが、ズオンさんは10年も工房で修行をした。20歳のときには、パソコンで靴のモデルをデザインできるようになりたいと思い、オフィス情報技術と文化を学ぶことにした。
作業が遅かったズオンさんも徐々に熟練していき、ついに独立したいと申し出た。そして2008年、10年ほど工房で働いた後、ズオンさんは貯金をかき集めて、ホーチミン市ビンタン区に靴製造会社を設立した。
当初、事業は順調だったが、ズオンさんには経営の経験が足りず、4年後に破産してしまった。ズオンさんは、最後のミシンを売却した後、20億VND(約1170万円)余りの借金を抱えることになった。
ズオンさんは、そのときのことを今も覚えている。2012年のテトの時期だった。広さ20m2の部屋に帰ったズオンさんは、アヒルの卵10個を茹でて、誰とも会わずにひたすら引きこもったのだった。
ほぼうつ状態で半月を過ごしたころ、ズオンさんを育ててくれた恩人でもあるホストファミリーの姉から電話がかかってきた。
「壊れたように、自分の感情をすべて吐き出しました。お姉さんは、『転んだら立ち上がりなさい』と言いました」とズオンさん。ホストファミリーはズオンさんに、一時的な生活の足しにといくらかのお金を送ってくれた。