[特集]
無料で靴を修理する元ストリートチルドレン、「人生への恩返し」
2024/08/11 10:24 JST更新
(C) VnExpress |
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ある週末の朝、グエン・ゴ・ズオンさん(男性・41歳)は、ホーチミン市直轄トゥードゥック市タムビン街区にある広さ70m2の工房の前に、「誰でも靴修理無料」という文字が書かれた台を引っ張り出した。
午前10時、30歳くらいの男性がやってきた。病気で足が腫れ上がり、指も曲がってしまった父親の足に合わせて靴を修理してほしいということだった。それから2時間後には、5kmほど離れたところに住んでいる工場労働者の女性がやってきて、新年度に向けて子供たちのバッグ4個を縫い直してほしいとズオンさんに依頼した。ズオンさんは注意深くメモを取り、受け渡し日を決めた。
ズオンさんは、この仕事を始めて9年になる。ズオンさんがこの仕事をする理由は、「人生に恩返しするため」だ。
ズオンさんは、東南部地方ビンズオン省の貧しい家庭に生まれた。父親は早くに亡くなり、雇われ労働者として働く母親に負担がのしかかった。そこで9人のきょうだいはそれぞれ、あちこちで生計を立てた。
ズオンさんは12歳のときに家出をし、友人を追ってホーチミン市に行き着いた。日中は公園で寝て、夜になるとごみ捨て場に行って資源回収(ベーチャイ=ve chai)をし、ときどきは雇われて水を運搬した。
数か月ごとに季節限定の仕事が終わると、合板工場をたずねては木材を乾燥させる作業を手伝った。仕事がない日は友人のところに泊めてもらったが、いつも空腹に耐えていた。
ズオンさんが15歳のとき、実の姉はズオンさんのことを不憫に思ったが、自身も経済的に苦しく、知人にズオンさんの世話を頼むしかなかった。
ズオンさんが預けられたのは、ホーチミン市4区に暮らす5人家族で、靴を作る仕事をしていた。「彼らは身寄りのない私をかわいそうに思い、ただでごはんを食べさせてくれて、寝泊まりをさせてくれて、仕事も教えてくれました。それが、私の人生の節目でした」とズオンさんは振り返る。
1998年の夏、ズオンさんは荷物をまとめてそのホストファミリーのところに移り住んだ。初めての食事のとき、ズオンさんはなかなか箸をつけることができないでいた。なぜなら、ストリートチルドレンだったズオンさんは、食事の席でどう振る舞えばよいのかわからなかったからだ。
何かおかしいと気付いたホストファミリーの兄と姉が、箸の持ち方や、食べ始めるときの目上の人への声のかけ方を教えてくれた。さらに、食べ方や話し方、帰宅時の挨拶など、あらゆる礼儀作法も教えてくれた。
テト(旧正月)には、ホストファミリーが他の家族と同じように、ズオンさんにも新しい服を買ってくれた。「私は心を打たれ、感動し、だんだんと自分自身も変わっていきました」とズオンさん。
ズオンさんは週に数回、自転車をこいで7区にあるホストファミリーの縫製工房に通い、仕事を学んだ。しかし、ズオンさん自身、他の誰よりも作業が遅いことを自覚していた。
例えば、靴底を縫う作業に、一緒に仕事を学んでいる他の人は3週間しかかからない一方、ズオンさんは1か月以上かかってもまだ完成しなかった。しかも、縫い目はがたがたで、製品も丈夫でなかった。
「自分の頭がよくないことはわかっているので、いつも人に後れをとるんです。でも、勤勉さは賢さを補うことができます」とズオンさんは語る。ズオンさんは、皆が寝静まる真夜中になっても工房に居残り、先生に認めてもらえるまでノミの使い方や縫い方を練習した。
通常は5年ほどで靴作りの仕事を習得できるが、ズオンさんは10年も工房で修行をした。20歳のときには、パソコンで靴のモデルをデザインできるようになりたいと思い、オフィス情報技術と文化を学ぶことにした。
作業が遅かったズオンさんも徐々に熟練していき、ついに独立したいと申し出た。そして2008年、10年ほど工房で働いた後、ズオンさんは貯金をかき集めて、ホーチミン市ビンタン区に靴製造会社を設立した。
当初、事業は順調だったが、ズオンさんには経営の経験が足りず、4年後に破産してしまった。ズオンさんは、最後のミシンを売却した後、20億VND(約1170万円)余りの借金を抱えることになった。
ズオンさんは、そのときのことを今も覚えている。2012年のテトの時期だった。広さ20m2の部屋に帰ったズオンさんは、アヒルの卵10個を茹でて、誰とも会わずにひたすら引きこもったのだった。
ほぼうつ状態で半月を過ごしたころ、ズオンさんを育ててくれた恩人でもあるホストファミリーの姉から電話がかかってきた。
「壊れたように、自分の感情をすべて吐き出しました。お姉さんは、『転んだら立ち上がりなさい』と言いました」とズオンさん。ホストファミリーはズオンさんに、一時的な生活の足しにといくらかのお金を送ってくれた。
そしてズオンさんは、生まれ故郷のビンズオン省に帰り、友人の靴製造会社で働くことにした。4年後には借金も徐々に減り、今度は経営管理とコーポレートコミュニケーションを学ぶために、バスに乗ってホーチミン市に向かった。
学びの中でズオンさんが興味を持ったのは、企業の社会的責任だ。ズオンさんは家族と別れてからの10年間を振り返って、人生への恩返しになるようなことを何もしてこなかったと気付いた。
「私に何かあるたびに、助けてくれる恩人がいます。だから私も、どんなに小さなことだとしても、誰か他の人の役に立つことを何かしたいと思ったんです」。
2016年、ズオンさんは再び起業し、トゥードゥック市で小さな靴工房を始めた。従業員は十数人だ。オープンして数日後、ズオンさんは工房の前に台を置き、「靴修理無料」という看板を出した。
工房は路地裏にあって目立たず、宣伝もしなかったため、客は通りすがりの数人の宝くじ売りくらいだった。しかし、月日が経つにつれて口コミが広がり、客も増えていった。
ズオンさんは日曜日を中心に、週に8~10足の修理を行っている。客は主に、貧しい労働者や配達員、露天商、障がい者などだ。
ズオンさんの工房から6kmほど離れたところに住んでいるトゥー・フエンさん(女性・40歳)は、近所に暮らす他の工場労働者たちから靴やサンダルを集めて、ズオンさんのところにまとめて持ってくる。通常は仕上がりまでに1週間ほどかかる。
「丈夫に修理してくれますし、縫い目も細かくて、とても良心的です。いつもたくさんの靴を持って行くのと、ときにはバッグの修理もお願いするんですが、一度も断られたことがありません」とフエンさん。
他のところで靴を修理するとなると、1足につき3万~4万VND(約175~234円)はかかる。ズオンさんは「額は大きくありませんが、これが無料になれば、彼らの経済的な負担を少し軽くすることができるでしょう」と話す。
ときどき、会社員の依頼を受けて靴を修理することもある。こうした客いわく、都市部では靴が壊れたら新しい靴に買い替える人が多いため、靴を修理してくれるところが少ないのだという。
「私は、金持ちも貧乏人も区別しません。ただ人を助けたい、それだけなんです」と、ズオンさんは語った。
[VnExpress 06:16 03/08/2024, A]
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