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クックさんは、親族から「出稼ぎに行ったんだから、お金が貯まれば帰って来るでしょ。何を心配しているの?」とも言われた。他にも多くの人たちから、生活苦で子供を売ったのかと非難された。
まさか自分の娘が、血のつながった親族に売られたなどとは考えられず、当時クックさんはあえて警察にも通報しなかった。しかし、長い月日の間にその叔母の消息も不明になってしまった。
クックさんは、娘が帰ってこないのは、困難な状況にあるからか、もしくは何か後ろめたいことがあるからか、と考えていた。そして、「来月には帰って来る、来年には帰って来る…」と漠然と信じて、寺院の清掃で稼いだお金を全て占いにつぎ込んだ。
末娘のフオンさんの出生証明書を作成した日、クックさんは長女のフオン(平らな声調)・マイさんを思い、末娘の名前をフオン(重い声調)・マイに変えた。末娘も、今では結婚して3人の幼い子供がいる。
マイさんの弟、レ・ダン・シー・フオンさん(40歳)は、かつてマイさんにとてもよくかわいがられていたと語る。背が高くがっしりとした見た目の弟のフオンさんは、マイさんとオンライン上で顔を合わせた時、「やっと再会できたんだから、元気出して、お姉ちゃん」と口にしながらも、涙を抑えることができなかった。
当時、寺院で生活する弟が十分な食事を取れていないのではないかと心配したマイさんは、毎日夕方になると自宅で炊いた茶碗1杯のごはんを寺院に持って行き、弟に食べさせていた。その後、成長した弟のフオンさんは、母親に何も告げずに家を出て、家族を捨てた親不孝者だと姉に腹を立てていた時期もあった。マイさんが売られたなどと、誰も想像することができなかったのだ。
時が経ち、マイさんは中国で夫と暮らす生活にも慣れていった。中国語も上達し、自宅の近くの工場で働き始めた。2人の娘も就職し、母親の言うこともよく聞く。60歳近いマイさんの夫も、毎日市場で野菜を売りながら、妻子を大切にしている。マイさんの家族の生活は平穏だと言えるが、ただ1つ、故郷を恋しく思う気持ちだけが、常にマイさんの心に渦巻いていた。
ようやく家族を見つけることができた今、マイさんは幸運だと感じている。オンライン上で再会した時は、過去を思い出して泣くことしかできなかったが、「今後もしもベトナムに帰ることができたら、例の叔母を見つけ出して話をはっきりさせるから」と母親に伝えることを忘れなかった。
マイさんは憤慨しながらも、「幸い、今の私の生活は順調よ。夫も、私と2人の娘がベトナムを訪ねてもいいと言ってくれているの」と母親を安心させた。しかしながら、マイさんの現在の問題は、身分証明書を持っていないことだ。
マイさんの思い出の品や写真はもうクックさんの手元にも残っておらず、ぼろぼろの出生証明書だけがクックさんの宝物だ。クックさんは、娘が身分証明書を作ることができるよう祈りつつ、ベトナム側での書類を用意すべく奔走している。
一方のマイさんは、家族をこの手で抱きしめることを夢見ながら、故郷に帰るための資金を貯めるため、一生懸命に働いている。