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そのコースで講師は学生に、自分が最も精通している、つまり「目を瞑ってでもできる」分野での起業を勧めた。講師に精通した分野を聞かれたバンさんは「茶摘みです。小さい頃、昼間に茶摘みをしながらあまりにも眠くなり、目を瞑ったまま摘んでいました」と答えた。講師は笑いながら「それなら茶業を選びなさい」と伝えた。しかしバンさんは慌てて「お茶は嫌なんです」と返したのだった。
その夜、バンさんは世界で初めて無農薬・無肥料のりんご栽培に成功した木村秋則氏の「奇跡のりんご」の動画を見返し、有機農業に関する本を読んだ。そして、故郷に帰って茶の自然栽培を始めることに決めた。
2019年3月、バンさんは荷物をまとめて都市部を離れた。バンさんが起業のことを姉に報告すると、姉は「これから大変なことがたくさんあると思うけど、一番大変なのは両親の同意を得ることよ」と警告した。姉の警告通り両親は怒り、その年は一度も口をきいてくれなかった。
実家の茶畑では自然栽培に着手することができず、バンさんは村の住人から面積2880m2の土地を借りた。毎日両親に隠れて出かけ、バイクで8km、徒歩で1kmも丘を登り、土地を耕して雑草を取り除いた。作業が終わるとこっそり家に帰り、清潔な衣服に着替えてから両親の前に顔を出す日々だった。
土壌の湿度を保つ除草作業の他に、バンさんは茶の木の根元を覆うためにわらと緑肥を集めた。さらに、その場で肥料を作るために間作として様々な植物を植え、大豆を培養し、熟した果物を加えるなどして、有機農業に必要な土壌の栄養を蓄えていった。
化学薬品を使わないため、最初に植えた茶の木は発芽したばかりの茶芽が全て虫に食べられ、アブラムシに覆われてしまった。茶の木の手入れをするたび、バンさんの身体のあちこちに虫がくっついた。洗っても虫がとれず、小川に飛び込み、服が乾くのを待ってから再び作業を続けた。
当初、近所の人たちは「両親に良い教育を受けさせてもらったのに、都会を捨てて田舎に戻ってくるなんて」とバンさんを叱っていたが、バンさんが茶の木よりも他の植物を育て、殺虫剤を使わずに虫まみれになっている様子を見て、「狂っている」と噂するようになった。「私はただ隅の方に身をかがめ、噂話や両親からの激しい反対は聞こえないふりをしました」とバンさんは当時を回想した。
バンさんは地元で起業のトレーニングコースや茶栽培に関する専門講座に参加し、また読書やインターネットで研究を続け、問題の解決策を模索した。
ある時、ハノイ市で行われた茶のプロモーションフェアを訪れた際、バンさんは茶に目がないという軍人に出会い、2人は恋に落ちた。夫は自宅を離れて勤めていたため、結婚後もバンさんは相変わらず1人で茶畑を管理していた。