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駅に向かう車中もトゥイさんは不安でいっぱいだったが、あえて口に出すことはしなかった。時折爆発音が聞こえると、トゥイさんは心の中でこれまでにないほど不安を募らせた。それでもトゥイさんは、自分が2人の子供たちを支えなければと、落ち着くよう自分に言い聞かせた。
「列車に乗り込むと、3人分の座席を見つけることができました。それから約20分後に発車し、そのときにやっとこれで危険な場所を離れられると思いました。ベトナムにいる夫と家族も、私たち3人が無事に列車に乗れたことを知って不安が少し和らいだようです」とトゥイさん。
ハリコフを離れると決断するまでに、トゥイさんは色々なことを考える必要があった。あっという間に情勢が悪化したため、危険に備える暇もなかった。自宅も車もビジネスも置き去りにし、2人の子供たちの学業も途中のまま、ハリコフを離れるしかなかった。
トゥイさんは「情勢が複雑化していくのを目の当たりにし、2月28日午後に退避することを決断しました。でも、全土に戒厳令が出されていたので3月1日まで待たなければなりませんでした。出発の前夜は一晩中、早く夜が明けてほしいと願っていました。家族全員の身の安全を祈るばかりで、財産はあきらめるしかありませんでした」と話す。
そして約17時間後、列車はポーランド国境に到着した。
一方、移動中の危険を懸念してハリコフに滞留することを選んだ人々も多くいる。
Pさん一家の自宅は市内のマンションの高層階にあるが、この情勢で地下での生活を送ることになり、その生活にも徐々に慣れてきたところだ。
地下シェルターは狭くて寒いが、100人もの人々がそこに集まって暮らしている。しかし、その人の多さこそが、Pさんの不安をいくらか和らげていた。
「自宅はマンションの高層階にあるので、自宅にいても安心できません。3月1日の時点で、私たち家族が地下シェルターに移動して6日目になります。本当のところ、退避はしたくありません。ハリコフからポーランドまでは約1000kmの距離があり、道中も危険ですから。何よりも、落ち着いた生活がすぐに戻ってくると信じているからです」とPさんは語る。