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ロシアによるウクライナ侵攻の真っただ中、ウクライナ在住ベトナム人のトゥー・トゥイさんと2人の子供たちは幸運にも戦地から退避するための列車に乗り込むことができた。
しかし、移動中の危険を懸念してハリコフ(首都キエフに次いで2番目に大きい都市)に滞留することを選んだ人々もいる。
ウクライナのベトナム人コミュニティは旧ソ連時代から形成され、2世代以上続く世帯が大半で、こうした人々はウクライナを第2の故郷としている。
今、ウクライナを離れて近隣諸国へ退避するということは、多くの在住ベトナム人にとっては「しぶしぶ」の選択だろう。なぜなら、それは何十年も馴染みのある場所を離れるというだけでなく、長年にわたり築き上げてきたビジネスや自宅を捨てることを受け入れるということでもあるからだ。
しかしながら、身の安全を守ることが最優先であるため、多くの人々が何とか列車に乗り込み、危険な場所から退避することを選んでいる。
2022年3月1日のウクライナ時間午前8時(ベトナム時間午後1時)、ハリコフからポーランド国境に向かう列車が出発した。列車に乗ったトゥイさんと2人の子供たち、そして何百人もの乗客たちは、ようやく少し息をつくことができた。
この情勢の中、列車の様子もいつもと違った。車内は混雑して窮屈だったが、安全な場所にたどり着くために誰もが耐えていた。乗客たちの顔には、疲れと不安がにじみ出ていた。
「どの車両も混んでいて、キエフ駅に停車したときも全員が乗り切れないほどでした。キエフは危険な場所なので、なかなか発車できずとても怖かったです。列車に乗っている間も少し不安でしたが、ポーランドに到着すれば不安も解消するだろうと思いました」とトゥイさんは語る。
トゥイさんが自分と子供2人の3人分の座席を確保するまでには、ただならぬ不安と苦労があった。都市部や隣国に向かう列車に乗ること自体も大変だが、駅に向かう車をつかまえることは、トゥイさんによれば「天に昇るのと同じくらい難しい」という。
「早朝、私たち親子は交代しながら何とか車を呼ぼうとしましたが、だめでした。自家用車はあるので、危険を承知の上で、自分で運転して駅に向かおうかとも考えました。結局、幸運にも途中で親切なドライバーに出会い、時間通りに駅に到着することができました」とトゥイさんは振り返る。