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6歳のとき、自宅でクラスメイトに「お前のお母さんはどこ?」と聞かれたレ・ドゥック・ヒエウさん(18歳)は、台所に鎖でつながれている人をおそるおそる指さした。するとクラスメイトたちは「頭がおかしいおばさんだ」と騒ぎ立てて走り去って行った。1人取り残されたヒエウさんはその場に立ち尽くし、涙を流した。
中学生になると、ヒエウさんは友人にからかわれてももう泣かなくなった。母親のことを侮辱する人たちに戦いを挑み、しばしば傷を作って帰宅した。
学校を辞めようかとこぼしたとき、母方の祖母であるチェー・ティ・ガイさん(73歳)はヒエウさんの傷痕をぬぐいながら「お母さんはお母さんだから。もう誰もあなたのことを見下したりできないように、今はしっかり勉強をしなさい」と彼をなだめた。
南中部沿岸地方クアンガイ省ギアハイン郡ハインドゥック村キートバック村落に暮らすヒエウさんは、2021年7月にホーチミン市経済大学に入学した。合格の知らせが届いた日、ヒエウさんは泣き、祖母も泣いた。母親だけが無邪気に笑い、息子が運んできたばかりのご飯茶碗をひっくり返した。
ヒエウさんの母親であるレ・ティ・トゥオンさん(47歳)は、今から26年前に精神疾患にかかった。家族は省内の病院から東南部地方ドンナイ省や北中部地方トゥアティエン・フエ省など各地の病院まであちこちに出向いて治療できるところを探したが、一向に症状は良くならなかった。
病気になったばかりのころのトゥオンさんは、1日中部屋で座ってぶつぶつとつぶやき、それから叫び声をあげ、人を殴り、家を出て徘徊した。しかし、毎回外へ探しに行く気力もなくなり、トゥオンさんの母親のガイさんは娘を台所に鎖でつないでおくしかなかった。
29歳になった年、トゥオンさんは知人の男性から性暴力を受けた。それでヒエウさんが生まれたが、父親はヒエウさんを引き取ろうとしなかった。
家は貧しく、ガイさんは野菜や米を売ってわずかなお金を稼ぎ、孫のミルク代に充てた。しかし、そのお金はミルク1缶分にも足りず、売り手の配慮で代金の半分だけ支払い、半分は借金という形でミルクを手に入れていた。
トゥオンさんの病気は重く、誰が誰なのか、ましてやヒエウさんが自分の息子であることもわからない。トゥオンさんが口にする言葉は、お腹がすいたときの「お母さん、ご飯」という一言だけだった。
10年前、台所に鎖でつなぐ代わりに、家族はサポートを受けてトゥオンさんのための小さなスペースを家の中に作った。部屋は常にしっかりと鍵がかけられ、窓には格子が付けられた。トゥオンさんはここで寝食を行い、ガイさんとヒエウさんが交代で面倒を見る。