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[特集]

精神疾患の母親を支える大学生、18年間変わらぬ願い

2022/01/09 10:35 JST更新

(C) vnexpress
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(C) vnexpress, ヒエウさん(右)とガイさん(左)
(C) vnexpress, ヒエウさん(右)とガイさん(左)
 6歳のとき、自宅でクラスメイトに「お前のお母さんはどこ?」と聞かれたレ・ドゥック・ヒエウさん(18歳)は、台所に鎖でつながれている人をおそるおそる指さした。するとクラスメイトたちは「頭がおかしいおばさんだ」と騒ぎ立てて走り去って行った。1人取り残されたヒエウさんはその場に立ち尽くし、涙を流した。

 中学生になると、ヒエウさんは友人にからかわれてももう泣かなくなった。母親のことを侮辱する人たちに戦いを挑み、しばしば傷を作って帰宅した。

 学校を辞めようかとこぼしたとき、母方の祖母であるチェー・ティ・ガイさん(73歳)はヒエウさんの傷痕をぬぐいながら「お母さんはお母さんだから。もう誰もあなたのことを見下したりできないように、今はしっかり勉強をしなさい」と彼をなだめた。

 南中部沿岸地方クアンガイ省ギアハイン郡ハインドゥック村キートバック村落に暮らすヒエウさんは、2021年7月にホーチミン市経済大学に入学した。合格の知らせが届いた日、ヒエウさんは泣き、祖母も泣いた。母親だけが無邪気に笑い、息子が運んできたばかりのご飯茶碗をひっくり返した。

 ヒエウさんの母親であるレ・ティ・トゥオンさん(47歳)は、今から26年前に精神疾患にかかった。家族は省内の病院から東南部地方ドンナイ省や北中部地方トゥアティエン・フエ省など各地の病院まであちこちに出向いて治療できるところを探したが、一向に症状は良くならなかった。

 病気になったばかりのころのトゥオンさんは、1日中部屋で座ってぶつぶつとつぶやき、それから叫び声をあげ、人を殴り、家を出て徘徊した。しかし、毎回外へ探しに行く気力もなくなり、トゥオンさんの母親のガイさんは娘を台所に鎖でつないでおくしかなかった。

 29歳になった年、トゥオンさんは知人の男性から性暴力を受けた。それでヒエウさんが生まれたが、父親はヒエウさんを引き取ろうとしなかった。

 家は貧しく、ガイさんは野菜や米を売ってわずかなお金を稼ぎ、孫のミルク代に充てた。しかし、そのお金はミルク1缶分にも足りず、売り手の配慮で代金の半分だけ支払い、半分は借金という形でミルクを手に入れていた。

 トゥオンさんの病気は重く、誰が誰なのか、ましてやヒエウさんが自分の息子であることもわからない。トゥオンさんが口にする言葉は、お腹がすいたときの「お母さん、ご飯」という一言だけだった。

 10年前、台所に鎖でつなぐ代わりに、家族はサポートを受けてトゥオンさんのための小さなスペースを家の中に作った。部屋は常にしっかりと鍵がかけられ、窓には格子が付けられた。トゥオンさんはここで寝食を行い、ガイさんとヒエウさんが交代で面倒を見る。

 以前は自宅に田んぼがあり、ヒエウさんは祖父母が耕すのを手伝い、収穫した米を食べ、残った分を売って本や服を買っていた。しかし、2018年に祖父が脳卒中で倒れて半身不随になってから、田んぼは人に貸し、貸し賃として数袋分の米を受け取っている。

 「食べる分だけで精一杯で、余るお金なんてありません」とガイさん。家族の食べ物や薬は、庭で採れた野菜と、精神疾患の患者に給付される50万VND(約2550円)に頼っている。

 食事に肉や魚が出ることはめったになく、市場で最も安く買える卵や豆、野菜のメニューが繰り返される。ガイさんは孫にこう教えた。「もしあなたが何かのポジションやステータスを得たいのであれば、自分でお金を稼ぎなさい。絶対に人頼みにしてはいけないよ!」。

 前の年、夫を亡くしたガイさんは、心臓弁に問題が見つかり、あっという間に体調も悪化していった。数歩歩くたびに座って息を整えなければならず、料理から母親の世話まで家の中のことはヒエウさんがやるようになった。

 午前は学校に行き、午後は帰宅して祖母がカシューナッツの皮をむくのを手伝い、夜遅くになってから自分の勉強に手を付けた。カシューナッツは1kgあたり2万VND(約100円)の収入になり、多い日では5kgを売った。収入のほとんどは祖母と母親の薬代に充てた。

 この18年間ずっと変わらない、ヒエウさんの最も大きな願いは、いつか母親が自分のことを息子として認識してくれることだ。良い成績をとったときや学校から賞をもらったときには母親の部屋のドアの前に立ち、母親に向かって大声で報告した。それに対して母親はというと、絶え間なく笑い声をあげるか壁に頭を打ち付けるかだった。

 高校3年生のとき、ヒエウさんはギアハイン高校の選抜クラスにいたが、卒業後は大学には行かず就職するつもりだった。「祖母はとても苦労しています。自分もお金を稼いで祖母と母の面倒を見たいんです」と、ヒエウさんは担任教師に希望を告げた。

 「運命を変えたいのであれば、勉強する以外に方法はないわよ。頑張りなさい。先生たちも友人たちも、いつでもサポートするから」と担任はヒエウさんにアドバイスした。担任はヒエウさんの力を見込んでおり、学校も困難な状況にある生徒のための奨学金をヒエウさんに優先的に支給した。

 友人たちは卒業試験に向けて学校の補習授業を受けていたが、ヒエウさんは授業料が支払えないため参加せず、自宅で1人で勉強していた。わからないところがあれば友人に聞いて教えてもらった。このようなヒエウさんの状況を知った教師たちは、ボランティアで教えると申し出てくれた。

 ヒエウさんは3つの大学に願書を提出し、すべてに合格した。結果を受け取った日、ガイさんは大喜びで、近所の人たちにも報告して回った。しかし、夜になるとガイさんは泣いていた。大学の学費をどう捻出すればよいのか困り果てていたからだ。

 そこでガイさんは、家のビンロウジが間もなく収穫期を迎えることを思い出した。「ビンロウジを売って300万VND(約1万5300円)になり、残り700万VND(約3万5700円)を借りれば入学金が払える」とガイさんはほっとした。しかしまさにその夜、近所中のビンロウジが盗まれ、ガイさんの希望だった300万VND(約1万5300円)も消えてしまった。

 入学金の支払い期限が近づき、家にお金がないことを悟ったヒエウさんは、遠くの大学に行ってしまえば祖母と母親の世話をする人がいなくなるからと理由をつけて、大学進学を諦めようとした。

 それを知ったガイさんは涙をぬぐい、近所の人たちにお金を借りに行った。皆、一家の事情を知っていたため、誰も利息は取らず、返せるときに返せばよいからと快く貸してくれた。

 キートバック村落の長であるグエン・バン・アンさんは「たくさんの人が君のことを愛しているんだから、君も頑張らないと」とヒエウさんを何度も励ました。

 こうして無事に大学生になったヒエウさんだが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響でまだホーチミン市に行くことができず、クアンガイ省の自宅でオンライン授業を受けている。時間が空けば料理や母親の世話など、祖母を手伝っている。

 ヒエウさんはホーチミン市に引っ越したらアルバイトをして自立しようと考えている。「自分ももう大人ですし、これ以上祖母に負担をかけたくありませんから」とヒエウさん。先生たちは授業料の免除を受けるための書類を準備しているが、もし申請が通らなければ4年間の学費は銀行から借りるつもりだ。

 他の学生は大学を4年で卒業するが、ヒエウさんの場合は5年、6年かかるかもしれない。「もし祖母や母が病気になったら、休学して看病をしに地元に帰り、その後にまた復学するつもりです」。

 大学を卒業するまでの道のりは友人たちよりも長くなるかもしれないが、ヒエウさんが1つだけ心に決めていることがある。それは、「勉強を途中で辞めず、最後まで頑張ること」だ。

 「望んでいることはただ1つ、働きに出て母の病気を治すためのお金を稼ぎ、1度でいいから母に息子として呼び掛けられたいんです」とヒエウさんは語った。 

[VnExpress 06:00 02/01/2022, A]
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