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「緊急電報を受けましたが、その時点で何人が船に乗っているのかは知りませんでした」とジョーンズさんは振り返る。ジョーンズさんは、今でもこの4人を救助したときの危険さ、困難さをはっきりと覚えている。
ジョーンズさんの乗ったヘリコプターは、クララ・マースク号の上空に到着するとロープを下ろし、盲腸が破裂した女性を救助した。もう1機のヘリコプターが生まれたばかりのリーバーマンさんと家族を引き上げることになっていたが、ヘリコプターには新生児を救助するための装備がなかった。そのため、ジョーンズさんの同僚のベイリーさんが下に降りてリーバーマンさんを腕に抱えなければならなかった。
ジョーンズさんの日記には、啓徳空港とクララ・マースク号の間の往復に2時間50分かかったと記されている。通常はヘリコプターで海上へ出ることはほとんどなく、2時間半の飛行に足りる燃料を積んでいたものの、救助時はこれを20分上回る飛行時間だった。
そして、救助が終わり香港に戻るとヘリコプター2機はきれいに清掃され、そのままその日に予定されていたエリザベス女王の護衛任務に備えた。「その後、我々の第28飛行隊はいつも時間通りということで『28 nick of time』と呼ばれるようになりました」とジョーンズさんは語る。