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その後、マックスーは1960年代にサイゴンで黄金期を迎え、あまりの人気に品切れ状態になるほどだった。当時、ガーさんフンさん姉妹の両親もサイゴンに住んでいたが事業には加わらず、姉妹が工場で100人近くの工員と共に、7時~11時、13時30分~17時、19時~21時の交代制で、1日1万本の生産を支えた。当初は北中部地方トゥアティエン・フエ省以南で販売していたが、仕入れ分を確保しようと販売代理店の店主たちが毎日列をなしていた。
マックスーは新聞や雑誌へは広告を、主要な市場や薬局では看板を出し、宣伝広告用にゾウを1頭飼い、ゾウを連れて市街地を練り歩いて商品を宣伝した。後に、ゾウはサイゴン動植物園に寄贈された。
1975年になると、時代背景の影響からマックスーは商品の製造を中止し、1979年に廃業した。ちょうどその頃、ビルマ王室の皇族の大部分はフランスへ移住し、サイゴンに残ったのはガーさんフンさん姉妹の母レ・バン・トゥイさんと父のザンノさんだけだった。
祖父や叔母が亡くなってからは、マックスーの調剤方法はガーさんフンさん姉妹のみぞ知るものとなった。「幼いころから家も工場もマックスーの香りで満ちていました。私たちはいつか必ずマックスーを復刻させようと決意しました」。1993年にホーチミン市ゴーバップ区にある東洋医学の会社と提携して、スートゥーカーという名前で軟膏を復活させた姉妹だったが、わずか5年で生産中止に追いやられてしまった。
月日が流れて姉妹は定年退職して余暇が増えたこともあり、一念発起して預金全額に加え自宅を担保に資金を借入れ、ビンタン区の自宅に工場を置くことにした。2016年6月、遂にマックスーの復刻版「カオソア―コンコン(Cao Xoa Con Cong)」が誕生した。復刻版の軟膏のシンボルにはミャンマーの国鳥であるコンコン(Con Cong=クジャク)を選んだ。
姉妹は利益を得るためではなく、かつて一族が築き上げたブランドがもう一度日の目を見る日が来ることだけを願い、全身全霊で軟膏づくりに取り組んできた。しかし70歳を超える高齢の姉妹がこの先もずっと事業を続けていくことは難しく、一族に伝わる秘伝の軟膏に対する姉妹の想いを理解し、調剤方法やブランド、物品を一手にを受け継いでくれる人が現れることを願っている。
そして、姉妹にはもう1つ願い事があると口を揃える。「どなたかマックスーの黄金期をまとめた伝記を書くのを手伝ってくれることを願っています」。