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「同門」のハーフの男性は自身のブランドを「タイガーバーム(Tiger Balm)」と名付け、軟膏の赤茶色をブランドカラーにした。一方でザンさんは自身の軟膏に「クーラー(Cu La)」と名前を付け、緑色の軟膏にした。クーラーは「ビルマ」を意味し、「ビルマから来た唯一の軟膏」であることを売りにした商品名だったとガーさんは説明する。それが、次第に軟膏(油)を意味するザウ(dau)が付いてザウクーラーと呼ばれるようになった。
メコンデルタ地方キエンザン省のビンヒエップホア村にはクーラー集落というところもあり、昔は多くのビルマ人がそこで商いをしていたという。
1931年にプノンペンに戻ったザンさんは、軟膏の製造を開始し妻のマックスーさんと結婚、妻の名前をブランド名に付けた。「ブランド名から祖母が創業者だと勘違いする人が多いのですが、実際には祖父が作りだした軟膏なんです。軟膏には秘伝の調剤があり、娘にのみ受け継がれてきました。息子は結婚すると嫁の尻に敷かれて秘伝が外に漏れやすくなるからということでした」とガーさん。
その後、マックスーはアジア地域に広まり、関節痛から咳や鼻水、頭痛や腹痛にも効く万能薬として知られるようになった。市場では香料を強めるためにサリチル酸塩を使用した軟膏も流通しているが、これらは服用すると身体に害を及ぼしてしまう。一方で、フンさんによればマックスーは服用を可能にする賦形剤を添加しているため、腹痛や歯痛の時に服用することも可能なのだという。
ザンさんの指導のもと、ザンさんの長女がマックスーを当時のサイゴンへ輸出すると、市場の潜在力を見抜いた長女は現在のホーチミン市1区のレタントン通りにあたる通りに生産工場を置いた。数年後には現在のレタントン通りに第2工場と現在のグエンチャイ通りに倉庫を開設し、マックスーは向かうところ敵なしの軟膏として不動の地位を築いたのだ。