[特集]
ベトナムに伝わるビルマ皇族の万能軟膏、末裔がブランド復刻
2019/01/13 05:58 JST更新
(C) thanhnien.vn |
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かつてのサイゴンの人々に親しまれたフレーズ「ボンボンシークーラー・バインタイスアホットガー・ザウクーラーマックスー(Bon bon xi cu la, banh tay sua hot ga, dau cu la mac su)」。ボンボンはブルボンのお菓子、シークーラーはショコラ(チョコレート)、バインタイは西洋のケーキ、スアホットガーはミルクセーキを意味する。
そして、ザウクーラーは当時の人々に万能薬として使われていた軟膏で「MacPhsu」というブランド名が訛ってマックスーと呼ばれていた。どれも当時の人々に愛されていた品々だ。しかし、マックスーが実は長い物語と共に遥々ビルマ(現在のミャンマー)人によってベトナムへ持ち込まれたものだと知る人は少ないだろう。
マックスーは1979年に発売されてから長きにわたり流通していたが、ある時を境に市場から姿を消していた。それが2013年になると、マックスーのブランドの元、カオソアコンコン(Cao Xoa Con Cong)という商品名で復刻したのだ。そして、マックスーを蘇らせたのが、ホーチミン市タンビン区に住む、ビルマ王室の末裔の2人の女性、レ・キム・ガーさん(1945年生まれ)とレ・キム・フンさん(1947年生まれ)姉妹だ。今ではマックスーの調剤方法を知るのは姉妹だけだという。
ガーさんによれば、一族は1930年にカンボジアのプノンペンでマックスーの製造を開始した。ガーさん姉妹の祖父トン・オン・ザンさんが、妻でビルマのミョンミン(Myngoon Min)王子の娘だったマックスー(MacPhsu)さんの家に伝わる軟膏を基にシンガポールで調剤を学んだ。
シンガポールでは、ザンさんはシンガポール人とビルマ人のハーフだった男性と共に英国人医師に師事し、精油の抽出方法などを学んだ後、それぞれ帰国の途につき、オリジナルブランドを確立した。
「同門」のハーフの男性は自身のブランドを「タイガーバーム(Tiger Balm)」と名付け、軟膏の赤茶色をブランドカラーにした。一方でザンさんは自身の軟膏に「クーラー(Cu La)」と名前を付け、緑色の軟膏にした。クーラーは「ビルマ」を意味し、「ビルマから来た唯一の軟膏」であることを売りにした商品名だったとガーさんは説明する。それが、次第に軟膏(油)を意味するザウ(dau)が付いてザウクーラーと呼ばれるようになった。
メコンデルタ地方キエンザン省のビンヒエップホア村にはクーラー集落というところもあり、昔は多くのビルマ人がそこで商いをしていたという。
1931年にプノンペンに戻ったザンさんは、軟膏の製造を開始し妻のマックスーさんと結婚、妻の名前をブランド名に付けた。「ブランド名から祖母が創業者だと勘違いする人が多いのですが、実際には祖父が作りだした軟膏なんです。軟膏には秘伝の調剤があり、娘にのみ受け継がれてきました。息子は結婚すると嫁の尻に敷かれて秘伝が外に漏れやすくなるからということでした」とガーさん。
その後、マックスーはアジア地域に広まり、関節痛から咳や鼻水、頭痛や腹痛にも効く万能薬として知られるようになった。市場では香料を強めるためにサリチル酸塩を使用した軟膏も流通しているが、これらは服用すると身体に害を及ぼしてしまう。一方で、フンさんによればマックスーは服用を可能にする賦形剤を添加しているため、腹痛や歯痛の時に服用することも可能なのだという。
ザンさんの指導のもと、ザンさんの長女がマックスーを当時のサイゴンへ輸出すると、市場の潜在力を見抜いた長女は現在のホーチミン市1区のレタントン通りにあたる通りに生産工場を置いた。数年後には現在のレタントン通りに第2工場と現在のグエンチャイ通りに倉庫を開設し、マックスーは向かうところ敵なしの軟膏として不動の地位を築いたのだ。
その後、マックスーは1960年代にサイゴンで黄金期を迎え、あまりの人気に品切れ状態になるほどだった。当時、ガーさんフンさん姉妹の両親もサイゴンに住んでいたが事業には加わらず、姉妹が工場で100人近くの工員と共に、7時~11時、13時30分~17時、19時~21時の交代制で、1日1万本の生産を支えた。当初は北中部地方トゥアティエン・フエ省以南で販売していたが、仕入れ分を確保しようと販売代理店の店主たちが毎日列をなしていた。
マックスーは新聞や雑誌へは広告を、主要な市場や薬局では看板を出し、宣伝広告用にゾウを1頭飼い、ゾウを連れて市街地を練り歩いて商品を宣伝した。後に、ゾウはサイゴン動植物園に寄贈された。
1975年になると、時代背景の影響からマックスーは商品の製造を中止し、1979年に廃業した。ちょうどその頃、ビルマ王室の皇族の大部分はフランスへ移住し、サイゴンに残ったのはガーさんフンさん姉妹の母レ・バン・トゥイさんと父のザンノさんだけだった。
祖父や叔母が亡くなってからは、マックスーの調剤方法はガーさんフンさん姉妹のみぞ知るものとなった。「幼いころから家も工場もマックスーの香りで満ちていました。私たちはいつか必ずマックスーを復刻させようと決意しました」。1993年にホーチミン市ゴーバップ区にある東洋医学の会社と提携して、スートゥーカーという名前で軟膏を復活させた姉妹だったが、わずか5年で生産中止に追いやられてしまった。
月日が流れて姉妹は定年退職して余暇が増えたこともあり、一念発起して預金全額に加え自宅を担保に資金を借入れ、ビンタン区の自宅に工場を置くことにした。2016年6月、遂にマックスーの復刻版「カオソア―コンコン(Cao Xoa Con Cong)」が誕生した。復刻版の軟膏のシンボルにはミャンマーの国鳥であるコンコン(Con Cong=クジャク)を選んだ。
姉妹は利益を得るためではなく、かつて一族が築き上げたブランドがもう一度日の目を見る日が来ることだけを願い、全身全霊で軟膏づくりに取り組んできた。しかし70歳を超える高齢の姉妹がこの先もずっと事業を続けていくことは難しく、一族に伝わる秘伝の軟膏に対する姉妹の想いを理解し、調剤方法やブランド、物品を一手にを受け継いでくれる人が現れることを願っている。
そして、姉妹にはもう1つ願い事があると口を揃える。「どなたかマックスーの黄金期をまとめた伝記を書くのを手伝ってくれることを願っています」。
[thanhnien.vn 12:08 06/12/2018, T]
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