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「あの頃は繁盛していましたよ。シクロ造りで家が建ったって人だっていたし。運転手たちは2人で昼と夜とで1台のシクロを走らせたもんです。私たち修理工もその恩恵にあずかりました」と語るのは、ホーチミン市5区でシクロ修理・製造業を営むホー・タン・ファットさん(男性・62歳)だ。
ホーチミン市内ではシクロを見かけることも少なくなったが、ファットさんは60歳を超えた現在もシクロ修理を続け、その傍らで新車を製造し海外へ輸出もしている。ファットさんの店はこじんまりとしていて、修理道具や部品が入った棚があるくらいだ。その店先には組み立てられたばかりの新車のシクロが2台置かれている。国内では新車の需要がほとんどなく、この2台も輸出するのだという。
「1975年以降のホーチミン市では、庶民の交通手段といえばシクロか三輪の乗合バスくらいでした。乗合バスは路線が決まっていましたから、何処へでも自由に行けるシクロは人々に好まれていつだってお客さんがいましたよ」と1台のシクロからタイヤを外し、修理に取り掛かりながらファットさんはシクロの黄金期を思い出す。
シクロが庶民の主な交通手段だった頃は修理工たちも大忙しで、自転車修理を営んでいたファットさんもシクロ修理に転向した。グエンティニョー通りやグエンチャイ通り、チャンクアンカイ通りなどは瞬く間にシクロ修理店が軒を並べるようになり、それでも人手が足りないほどだったという。