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1971年、ドイ氏はメコンデルタ地方キエンザン省から国会議員として政界に進出した。しかしこの頃、ティンギア銀行の成長、そしてダオ氏の勢力拡大は、当時の権力者や官僚にとって脅威となっていた。
ベトナム共和国の副首相兼国防総長を務めたグエン・フウ・コー氏との会話を2000年から2005年にかけて記録したベトナム地元紙の回顧録によると、当時ティンギア銀行は大手銀行の1つに数えられ、ドイ氏はズオン・バン・ミン将軍を含む多くの権力者と関係を持っていたという。
コー氏によると、ドイ氏とミン氏は毎朝一緒にテニスをする仲で、サイゴン中の誰もがそのことを知っていた。ベトナム共和国の当時の首相、グエン・バン・ティエウ氏もその事実を知っていたが、ティエウ氏は2人の仲を不愉快に思っていた。
そして災禍が起きた。ティエウ氏は信用している部下から、ズオン・バン・ミン将軍が首相選挙に出馬した際にはダオ氏が財政的な支援をすると約束していたことを聞かされたのだ。ティエウ氏はこれを阻止するため、先手を打つことに決めた。
「その時ドイ氏は、ついにティエウ氏がティンギア銀行の監査を命じた、と私に言ったのです」とコー氏は回想した。
どこに証拠があったのかはコー氏もわからないというが、1975年3月、監査から48時間後にサイゴン政権はティンギア銀行の全店舗を封鎖し、ドイ氏は逮捕された。尋問は迅速に行われ、ドイ氏は翌月の南部解放の日までチーホア監獄に収容された。
ドイ氏は釈放された後、1人静かにカナダへと移住した。そこでいくつかの日本食レストランを開き、かつての「銀行王」は70歳でこの世を去った。