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ホアさんがこの仕事を始めたのは、夫が亡くなって子供3人と両親の計5人を養わなければならなくなったためだ。子供の学費を稼ぐためには、病気になっても休めない。「牛馬のように働いて惨めですが、子供達が教育を受けて一人前の人間になって貧困から抜け出るよう願うだけです」
紅河デルタ地方フンイエン省アンティー郡出身のミエンさんは、知り合いとこの仕事を始めてから8年になる。妊娠8か月の時にも働いていたためか早産になった。子供が今病気がちなのは、そのせいかと少し気に病んでいるという。
ロンビエン市場のリヤカー引きには、ミエンさんと同郷の人が多い。1990年代に田舎で食い詰めた人達がハノイに職探しに出たのが始まりで、リヤカー引きはきついけれど安定して稼げる仕事として定着した。20年以上働いている人や家族で働いている人もいるという。
職歴12年のリエンさんは、リヤカーの事故を何回も目撃してきた。軽ければすりむくぐらいで済むが、骨折した人や脊椎が変形して仕事を辞めざるを得なくなった人もいる。リエンさんも辞めようと思ったことはあるが、子供達の将来のために頑張っていると語った。