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チャン・バン・ダムさんは、北中部トゥアティエン・フエ省フエ市の貧しい家庭に生まれた。両親はドンバー市場で荷役として働いていたため、幼い頃は苦しい日々の連続だった。5歳になった時には兄や姉の後を付いて市内を歩き回って、空き瓶を拾い集めた。
小学校には入学したものの5年生になった時に学校をやめて、両親と同様にドンバー市場で荷役の仕事をしなければならなかった。ベトナム戦争が終了し南部が解放されると、ダムさんは新経済地域の青年開拓団に志願して参加した。
しかしそれからわずか1年足らずで、当時24歳だったダムさんを悲惨な事故が襲った。2発の不発弾が爆発し、彼は両目の視力と左腕を一瞬にして失った。右腕が残ったものの自由はあまり利かない。フエ市の自宅に戻ったダムさんは絶望して、頭を何度もベッドの板に打ちけて自殺を図ったが果たせなかったという。
しばらくしてからダムさんは、自分で稼ぐために歌を歌って物乞いする決心をする。彼の悲しい歌声は人々の心を打ち、食事代は稼げるようになった。妻のグエン・ティ・フオックさんのハートを射止めたのもこの歌声だ。フオックさんの家族は結婚に猛反対したが、2人はそれを押し切って結婚した。