(C) Dat viet, Huyen Nguyen 写真の拡大 |
土壌や気候の違い、人間関係の難しさなどから海外農業移民の人気はそれほど高くない。しかし実際にはかなり多くの人が成功し、この道で生計を立てている。「農業への投資は初めかなりの額を要する割に商業ほど利益が出るのが早くない。それでも私は潜在的な可能性があると見込んでいる。だからこそロシアのボルガランドに農業移住した先人たちはこの道を選んだのだと思うから。」ロシアに移住したドゥオン・ハイ・アン氏はそう語る。
ドゥオン・ハイ・アン氏は、まだ農業が充分に発達していなかったロシアにおいて野菜への需要が大きかったことを受けて、新しいビジネス、お金儲けの方法として農業をやることを決めた。そしてボルガランドの中心から38キロのところに200ヘクタールの農地を50年の期限付きで購入した。初めの頃は困難を極めたという。
当時ロシアには中国産の野菜が浸透していたし、アン氏が持つ開拓の技術も極寒の地には対応していなかった。しかし、度重なる失敗を重ね、2004年には土壌も完全に改良し、2008年にボルガ-ベトナム合同会社を設立した頃には暮らし向きも良くなっていった。
耕作技術の尊守と作付けから収獲までにおける適宜の栽培プロセスによって、今までのところボルガ-ベトナム社は、平均の150%から200%に及ぶ生産量を上げている。1ヘクタールあたり、小ナスなら7~10t、カボチャや苦瓜なら70~100t、トマトなら5000t、ジャガイモ、ピーマン、長ナスなら数百tが年間を通して収穫でき、ロシア各地のスーパーに出荷している。現在アン氏は約50人のベトナム人作農者を月給平均500ドル、食事と寮付きで雇い、さらに収穫時期には数百人のロシア人やアゼルバイジャン人を雇っている。
アン氏ほどの大規模でなくても、ゲアン省ハティン出身の4人組、テー氏、フン氏、ホア氏、ロン氏もまたモスクワ郊外に58ヘクタールの農地を所有し、ネギやパクチー、赤カボチャなどを作っている。4人のところの従業員を合わせると年間約120人、17歳から40歳までの男女を月給200~250ドルで雇用している。
テー氏によると1ヘクタールあたりの収穫量は、ネギやパクチーの場合は10~15t、赤カボチャの場合は50tほどになるという。全ての野菜はロシアの市場から、スーパーマーケットや市内の小売店へ出荷している。粗利で計算して、毎年夏の収穫時期には何も障害がなければ、各自が数十万ドルぐらいの収入だという。諸経費を差し引くと、凶作の年などは赤字が出ることもある。
ロシアに移住したベトナム人とは異なり、アメリカに移住したベトナム人はオレンジ、カスタードアップル、ミルクフルーツ、マンゴー、バナナ、竜眼などの熱帯性植物を栽培している。例えばグランド・アジア・パシフィック貿易会社グループの社長ピーター・ホン氏は、アメリカのフロリダ州において、種無しグァバやゴールデンカスタードアップル、高級種のオレンジなどを栽培し、高い収穫量を上げている。
オーストラリアやニュージーランド、イギリスの学生で、人生を変えるとか金持ちになるとかいう野心がなくても、副収入を得るために、夏季休暇の度にバックパックを背負い農場へ行く若者がいる。「1日農場で働くと、平均100~120豪ドル(約8000~1万6000円)の「高収入」が得られる。仮に1日100豪ドルだったとしても、1か月も農場で働けば3000豪ドル(2万4000円)、ベトナム人学生なら丸1年分の生活費をまかなえるほどの額をを稼げることになる」オーストラリアのメルボルン大学に留学しているある学生は言う。
仕事の内容は、オレンジ、リンゴ、トマト、イチゴ、アスパラガス、スイカなどの収穫のことが多い。農場に寝泊まりするなら5時起き、離れたところに寝泊まりするなら4時起きで迎えの車に乗る。作業時間はだいたい8~10時間、時期や地域にもよる。クイーンズランドのように北部の農場においては日照時間が短いため、南部の農場よりも働く時間が短く、終わる時期も早い傾向がある。
最近はベトナムから中東やアフリカへ農業移住する人も増えている。例えば、イスラエルでは農家が農作物の世話に従事する基本の時間は一日に8時間、週に6日までと制度で定められている。基本月給は約1000ドル(8万2000円)。各種税金や水光熱費、食費などを差し引くと1か月760ドル(約6万3000円)ぐらいになる。もし毎日2~4時間さらに働いたとすると、その差し引き収入は1000ドルを超えることになる。ローゼルマン・ファームで働く29歳のグエン・ホアン・クオック氏はこう語る。「収入は安定していて、住んでいる場所も便利。特に雇い主は良くしてくれるし、ベトナム人の労働能力を高く評価してくれています」。