今年もホーチミン日本人学校の新体育館をお借りして、幼稚園の運動会を行いました。一般的に想像される運動会は、大きな学校行事の一つとして捉えられています。何日も練習を重ねた後に、「本番」として運動会を迎えているケースが多いです。しかし、私たちの幼稚園では、運動会を特別な行事として位置付けていません。
子ども達は、日常生活の経験を積み重ねて成長していきます。運動会もその流れの中にある1日なのです。運動会のプログラムについても、その時の子ども達と保育者が一緒に作り上げるものなので、内容も当然毎年違ってきます。保育者は、毎日の遊びの中から、子どもたちの関心度が高く、競技につながる遊びを日々探っていきます。運動会のために練習を行うのではなく、毎日の遊びの中から、保育者が運動会の競技にしていくのです。遊びが面白ければ、運動会のための“特別な“練習は必要ないのです。これは保育者の意識改革が必要かもしれません。運動会までの日々から運動会当日、終わったその後の子どもたちの活動や遊びは、一連の遊びの過程と考えています。
過去に私は色々な幼稚園を見学させていただきましたが、運動会特有の現象があります。もちろん運動会が本番と設定されるので、当日が近づくにつれ、どのクラスも毎日毎日練習を繰り返します。私が東京のK幼稚園に勤めていた時のこと。年長組は、運動会で披露するダンスのセットとして、段ボールでヤシの木を作り、その周りで毎日ダンスの練習をしていました。ようやく運動会が終わったその翌日のことでした。お部屋に置いてあったそのヤシの木を、何人かが倒して踏み、ダンスをもう一度踊りたいという声は一切上がってきませんでした。練習があまりにも面白くなく、子ども達にとっては「やらされた」感が強かったのです。「子ども達のものになっていない。」そんな経験もあって、私は 「運動会はいつもの生活の中にやってくる」「運動会が終わった後も子どもたちは興味のある競技であれば何度もやろうとする」 がモットーとなりました。
今年の運動会では、年長組のリレーがありました。毎日公園で行なっていたのを見ていた年中組の子ども達は、運動会が終わった途端に、自分たちが年長組に混ざったり、あるいは自分たちでリレーがしたいと保育者に申し出たりしています。
また、母親競技の綱引きで、ママたちが勝負を賭けて、突然裸足になって本気の綱引きを見せてくれました。
お父様たちは、今年のラグビーW杯にあやかり、ラグビーボールを使ってのリレー&トライ。その日に即席で作ったにわかチームでもパパたちのチームワークはすごかった…。会場が湧き、大人の本気と楽しい雰囲気が子ども達に伝わり、その後の競技も大いに盛り上がりました。
早速運動会の翌日から、子ども達はラグビーボールを持って走ることを繰り返していました。また、運動会での綱引きは、綱の一番端を持つ人になぜか子どもの注目が集まっていました。幼稚園で自分たちが綱引きをやってみる時には、運動会の時と全く同じ姿を真似をしてみます。腰にぐるぐる綱を巻いたり、お尻を突き出し、両足を広げて踏ん張り、両手で引っ張ったり。「楽しいと思ったことは繰り返す」これが子どもの生活の基本です。そして繰り返し遊ぶことで、彼らはたくさんの学びをしていきます。
年長組のリレーに憧れていた年中組も、リレーのコース作りを真似てみますが、楕円のカーブをうまく出すことがなかなかできません。それでもなんとか必死で頑張ります。走ってみて具合が悪ければまた直します。「年長組さんの使っていたバトンが持ちたい。」代用品では本当のリレーではないのです。やるならとことん自分たちが見た本物に近づけたいのです。私たち大人は 幼児期の「模倣」と「再現」力 に目を見張り驚かされることがたくさんあります。毎日の生活の中から生まれる運動会を通して再確認したことでした。