北中部地方トゥアティエン・フエ省フエ市に暮らすチャン・ティ・ガンさん(女性・55歳)は、長女が小学1年生になると、子供たち全員を大学まで行かせるつもりだと近所の人たちに話した。それを聞いた人たちは、小学4年生の勉強も終えていないガンさんの荒唐無稽な話じゃないかと笑った。
(C) vnexpress |
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28年後、ガンさんの長女のクアック・ミー・ウエン・ニーさん(33歳)が日本にある総合研究大学院大学物理科学研究科で博士号を取得し、ガンさんは「やればできる」ことを証明した。長男のクアック・アイン・タイさんは修士課程を首席で修了し、現在はフエにある国際高校で専門助手を務めている。次女のニャット・アインさんはフランスで修士課程を修了したばかりで、引き続き奨学金を得てフランスの大学院で研究を続ける。
「十分な教育を受けることは、私たち夫婦には叶わなかった子供の頃の夢でした。だから、子供たちにその夢を託したんです」と、ガンさんは困難を乗り越えて成長した子供たちを見つめながら話した。
ガンさんが11歳の時、ガンさんの父親は亡くなる直前に長女のガンさんの手を握りながら、学校を辞めて母親を助け、きょうだいを育てるように伝えた。「たくさん泣きました。父を亡くして、さらには学校も辞めないといけなかったから」とガンさんは当時を回想した。
13歳になると、ガンさんはドンバー市場に飲み物を売りに行き、さらに宝くじ、チェー、バインカインなどをフエ市内のあちこちに売りに行って母親を助けた。高校に進級した友達がきれいなアオザイを着て自転車に乗っているのを見かけては、自身を哀れんで涙を拭った。
結婚適齢期になると、ガンさんは自分より2歳年上で、互いに似た境遇にあり共感し合えるクアック・ソーさんを夫に選んだ。「夫は勉強ができますが、私と同じように家が貧しかったため、ㇱクロ運転手の仕事をしながら学校に通っていました。でも、そのことを友達にからかわれて気落ちし、高校2年生の時に学校を辞めてしまったんです」とガンさん。2人とも学歴はなかったが、子供たちにはきちんと教育を受けさせようと約束した。
長女のニーさんは、父親の頭の高さほどしかない小さな茅葺きの家で育ち、竹と牛糞を混ぜて作った壁は今にも崩れ落ちそうだったこと、そして雨が降るたびに家族全員で雨漏りをキャッチするための洗面器を配置していたことを今でも覚えているという。「洪水の時期には、両親は私たちを近所の家に預けていました」とニーさんは語る。