子供たちにとって、ガンさんは母親であり友達でもある。3人の子供たちはよく学校での出来事をガンさんに話し、ガンさんもまた学校に行きたかったという自分の夢について話した。「私たちは学校に行くことは義務であり、また権利でもあることを理解しています。両親が一生懸命働いて学校に行かせてくれているので、私たちも一生懸命勉強しないといけません」とニーさん。長女としてニーさんは意識を高く持ち、自分の人生を切り開くため、また弟と妹の手本になるため、一生懸命勉学に励んできた。
(C) vnexpress |
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2013年、ニーさんは日本で修士課程と博士課程が組み合わさったコースに合格した。しかし、奨学金の残りが少なくなり、さらに手続きも複雑で追加の奨学金を得られず、生活は苦しくなった。経済的なプレッシャーからニーさんは深刻な病気にかかり、一時的に学業から離れてベトナムに帰国することになった。
娘が日本で病気になったと聞いた日、ガンさんはショックで混乱して大泣きした。しかしその後、落ち着きを取り戻すと娘を励ました。家族全員でニーさんをサポートし、徐々にニーさんは普通の生活を取り戻していった。
そしてニーさんは博士課程を修了するため、また化粧品のオンライン販売で生計を立てるため、再び日本に戻った。「日本の先生方は、私にはサムライの精神があると言ってくれましたが、目標を諦めない精神は、両親から学んだものなんです」とニーさんは語る。
長女であるニーさんは弟のタイさんと妹のアインさんの手本となり、2人はニーさんの後に続いた。こうして、ガンさんの子供たち3人は全員が安定したキャリアを築いている。夫婦はもはや子供たちを養うために休みなく働く必要はなくなった。かつての茅葺き屋根の家も4回の修繕を経て、現在は思い出として残しているだけだ。家族5人は新しく2階建ての家を建て、高齢になった夫婦はそこでバラの花や野菜を育てて暮らしている。
「大多数と比較すればたいしたことは成し遂げていませんが、十分満足しています。私たちはものすごく低いところから出発して、それでも夢を実現することができたんですから。若い人たちでも努力を惜しまず頑張れば、やりたいことは何でも叶えられると思います」と、ガンさんは自らの人生を振り返りながら語った。