ニーさんが小学1年生になると、ガンさんは近所の人たちに子供たち全員を進学させるつもりだと話したが、近所の人たちはただ笑うだけだった。なぜならこの地域では、子供たちの大半は生活のために幼いうちから学業を捨てて働いていたからだ。
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「他人から褒められようとけなされようと、自分たちの目標を決して諦めませんでした」とガンさん。焼けるような暑い日も冷え込む雨の日も、夫婦は休むことなく働いた。ガンさんはチェーを売りに行き、夫はㇱクロを運転して荷物を運搬した。夫婦が1年間のうちで休むのは、テト(旧正月)の数日間だけだった。
長男のタイさんは、家から中学校までとても遠かったため、毎日炎天下の中を自転車で通学するのが辛かったという。しかし、友達と通学している時に、遠くのほうで父親が顔の高さほどもある大きな荷物を運んでいる様子を見かけたことがあった。父親のソーさんは、後ろで息子が涙をこぼしていることなど知らずに、必死に一歩一歩進んでいた。
「その時の光景は、私の心にずっと刻み込まれています。それ以来、人生で困難に遭遇した時はいつもあの光景を思い出し、前に進むためのエネルギーにしているんです」とタイさんは教えてくれた。
生計を立てるために苦労しながらも、夫婦は子供たちにひもじい思いをさせることはなかった。夫婦は学費の支払いを最優先にして、自分たちの食事や服にはお金をかけなかった。「子供にだって世間体はありますから、恥ずかしい思いをしたら学校に行きたくなくなってしまうでしょ」とガンさんは夫に語りかけた。
ある時、長女のニーさんが化学で悪い成績を取り、部屋で泣いていたことがあった。夜の9時頃に汗だくで仕事から帰宅したソーさんは、茶碗にごはんをよそいながら化学方程式の覚え方を教えた。ソーさんは白いチョークで床に文字を書きながら口頭で解説した。こうした父親の補講のおかげで、ニーさんは化学が好きになり、その後ニーさんは市の優秀な生徒のチームに選ばれ、さらに大学入試では10点満点中9.75点を獲得した。
仕事がどんなに忙しくても、夫婦は子供たちの保護者会には必ず出席した。また、交代で子供たちを試験会場まで自転車で連れて行ったりもした。父親のソーさんは今でも子供たちが留学や出張、さらには遊びに行く時にも、駅や空港に送り迎えをしている。