10年前、クオンさんがタイヤサンダルの仕事を継ぎたいと申し出たとき、義父のスアンさんは突き返した。クオンさんは当時、テクノロジー分野の会社の副社長で、収入も高かったためだ。一方、スアンさんは優秀な職人だったが、タイヤサンダルの仕事では生活が厳しく、とても質素な生活を送っていた。クオンさんは手足を使う作業が得意でなく、輪ゴムを結ぶことさえ満足にできず、スアンさんに叱られていたという。
(C) tuoitre |
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「義父はとてもこだわる人で、義父の作るサンダルはとても精巧です。ゴム紐をどの順番で引っ張るかに始まり、ソールに開ける穴はまっすぐではなく角度をつけて開け、穴の大きさもストラップを固定するため小さくしなければなりません」とクオンさん。
その後、クオンさんはタイヤサンダルを販売するウェブサイト<Depcaosu.com>を開設し、スアンさんが作ったタイヤサンダルの写真を掲載した。「思いがけずたくさんの人に関心を持ってもらえました。サンダルを買うために、当時カムティエン市場の通りの奥にあった義父の家をわざわざ訪ねて来るお客さんもいました」とクオンさんは語る。
それからというもの、クオンさんは義父のタイヤサンダルの販売を手伝い、またタイヤサンダル作りの技術も必死で学んだ。その時スアンさんはすでに72歳と高齢だったため、たくさんのサンダルを作ることはできなくなっていた。
サンダルの購入希望者は1か月以上前から予約しなければならず、受け取り時には身分証明書が必要だった。さらに、1年間に1人1足までしか買うことができず、どうしてもと懇願されても、料金を上乗せされても、クオンさんは応じなかった。また販売時間も18時から21時までの間のみで、1分でも過ぎると店を閉めていたという。
「傲慢だったのではなく、対応できなかったんです。タイヤサンダルは義父が1人で作っていましたが、高齢で休む時間も必要だったので、たくさん作ることができなかったんです。義父はとても神経質で、納得できる品質のサンダルができなければ顧客に売りませんでした」とクオンさんは当時を回想した。
その後、クオンさんはIT企業の副社長の仕事を辞め、タイヤサンダルが製作できる職人たちを探すため、北部紅河デルタ地方タイビン省、同ナムディン省、さらに北中部地方タインホア省まであらゆる場所に足を運んだ。職人を見つけると、スアンさんの工場で技術を学びながら働いてほしいと彼らを説得した。
また研究センターを立ち上げ、製作したサンプルをスアンさんにチェックしてもらいながら改良していった。そして職人たちには自社ブランドのサンダルをプレゼントし、実際に履いてもらいながら、良いサンダルとはどういったものかを体感してもらった。こうして20人の職人たちが手作業で作った数百ものサンダルは、機械で作ったかのようにそっくりで精巧だ。
ブアゼップロップの若い職人たちもとても優秀で、ナイフやノミの捌き、切断面やステッチの仕上がりはどれも巧みで芸術的だとクオンさんは誇らしげに語った。
クオンさんは、新型コロナウイルス感染症が収束したら、観光客向けにタイヤサンダル製作の「ショー」を開催したいと考えている。