その後何度かの捜索では、色々な場所を訪ねるのではなく、客を装って娘がいる可能性のある売春宿を訪ねてまわった。広西チワン族自治区から雲南省に行き、そして広東省に行った。
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「私が旅した総距離は約3万kmですが、1日に1000km移動した日もあります。遠くに行く場合は電車かバスで、近い距離は徒歩かタクシーに乗りました」とタンさん。しかしながら、タンさんが疲れを感じることはなかった。横になると娘の顔が浮かび、心が痛んだからだ。「あの子はまだ幼く、売春宿に売られるなど地獄以外の何物でもありません」。
雲南省のある村を通っていた時、タンさんは強盗に間違われ、青年たちにナイフで襲われたことがあった。タンさんが事情を説明すると、彼らは道を通し、タンさんが早く娘を見つけられるようにと祈ってくれた。
タンさんはタクシーに乗る時、女性の運転手を選んだ。「私が知っている中国語には限りがあり、何度も言うことでようやく意味が伝わります。もし、悪意ある男性ドライバーにあたって娘を探しているなどと話してしまえば、お金ばかりか命すら失ってしまう恐れがあったのです」とタンさん。
娘を探すため、タンさんは1年あまりの間に15回中国に渡った。そして2008年の年末、嬉しい知らせが入った。いなくなった娘からYahooメッセンジャーで姉に突然連絡が入ったのだ。現在、広西チワン族自治区の崇左市にいるという短いメッセージだった。娘は油断した監視グループの隙をついて一度だけ抜け出し、メッセージを送ることができたのだと後からタンさんは知った。
その知らせを受けて、タンさんは食べることも眠ることも忘れ、急ぎ崇左市に向かった。そこに売春宿を見つけると、フウさんに電話して助けを求めた。