しかし喜びも束の間、親魚から生まれた100万匹の稚魚は全滅。一部の親魚も数日後に原因不明で死んでしまった。更に、第2陣の錦鯉を輸入したが、再び全て死んでしまったのだ。
(C) Bao Dau Tu, Gia Huy, ズンさん |
努力すればするほど事態は困窮し、心配するあまり、とうとう彼は病にかかった。「支払わなければならない利息の通知が続々と届きました。私は恐ろしくて、その数字を見ることもできませんでした」とズンさん。
そんな中、幸運にもズンさんは海兵隊や同郷の仲間、退役軍人会から支援を得ることができた。彼らはズンさんが再出発できるよう、土地購入や増資のためのお金を貸してくれた。
彼は全財産と資本金をかき集めて、ホーチミン市クチ郡の未墾地20haを購入した。銀行へ借金を返済し、錦鯉養殖の研究を続けるために、以前建設した水族館やウォーターパークも全て売り払った。
しかし、ズンさんが購入したその20haの土地には、まだ電気や水が通っておらず、道すらなかった。ズンさんと仲間たちは、仮設キャンプで寝食を共にしながら、朝から晩まで開拓を続けた。その土地には、ベトナム戦争時の不発弾も残っていた。作業を手伝っていたのは皆戦争に参加した元兵士たちだったため、ズンさんたちは自ら不発弾を処理した。不発弾処理の専門家を雇うお金もなかったのだ。
彼らは何度も不発弾に遭遇したが、幸いにも事故は起きず怪我人も出なかった。このようにして、不発弾が残っていた危険な土地は徐々に平和で繁栄した人生を表すような養殖池に変わっていった。