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ゾアインさんは1986年初め、第7軍区軍事学校の37mm対空砲小隊長養成課程を終えると、第4地域海軍司令部第146旅団に戻った。ちょうどそのころ、ゾアインさんが22歳、ハーさんが19歳のときに、2人は夫婦になった。
1年後には娘が生まれた。子供の笑い声の中、夜には家族皆がそばにいる、つかの間の幸せな日々が過ぎていった。ゾアインさんは、妻と子供を北部の故郷に連れて行き、両親に会わせる計画を立てていた。
しかし、その夢は永遠に叶わなかった。
1988年1月、中国はミサイルフリゲート艦1隻、巡洋艦1隻、石油タンカー1隻、上陸用舟艇1隻と、その他数隻の軍艦を派遣し、チュオンサ諸島のチュータップ岩礁(英名:ファイアリー・クロス礁、中国名:永暑礁)を実効支配した。
続けて、中国はミサイルフリゲート艦2隻、ミサイル駆逐艦2隻、支援船4隻を岩礁の周囲に停泊させ、チュータップ岩礁を守るためにベトナムの船舶の通過を阻止した。
こうした情勢の中、ゾアインさんは小隊を指揮してガックマー岩礁に向かい、岩礁の防衛と工兵部隊の支援を行うよう命令を受けた。
出発の前夜、ゾアインさんは幼い娘を抱きしめて「おうちで良い子にしていてね、お母さんを困らせちゃだめだよ!」と声をかけた。そしてハーさんには「家で子供の世話を頼んだよ。1年後に帰ってくるからね!」と言い、妻を励ました。