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ロシアによるウクライナ侵攻が始まって300日余りが経った。ウクライナ在住のチン・アイン・トゥアンさん(男性・54歳)は、戦争が勃発して以来、ウクライナから退避していない数少ないベトナム人の1人だ。トゥアンさんは今もなお、ウクライナ人の妻と2人の子供とハルキウ(首都キーウに次いで2番目に大きい都市)に留まっている。
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トゥアンさんによると、ハルキウの市場や学校、病院、マンションなどが毎日のように攻撃を受けていた時期があったという。自分の店がある市場のすぐ近くで爆発を目撃したこともある。爆発が起きた3月17日の光景は、今でも脳裏に焼きついている。
「あの日、我々夫妻が市場の自分の店に座っていると、とてつもなく大きな爆発音が聞こえました。私たちは急いで店を閉め、走って車を取りに行きました。外に出ると、爆発が起きた場所は市場のすぐ近くにあるバス停だということがわかりました。そのとき、ドー・ティ・バオさんというベトナム人の知人を探すため、私たちはすぐには家に帰らなかったんです」とトゥアンさんは語る。
当時の周囲の光景は混とんとしており、人々があちらへこちらへと行き交っていた。叫び声と泣き声が響き渡り、道路には重傷を負った人たちが横たわり、さらにその隣には焼け焦げた死体もあった。その光景を目の当たりにしたトゥアンさんと妻は、心底震え上がった。
トゥアンさん夫妻が探していたバオさんは電話もつながらず、バオさんの店に行っても誰もいなかった。夫妻は命を危険にさらしながらもバオさんを探し、無事を祈った。そして、地下鉄でようやくバオさんと再会することができた。3人は抱き合い、すぐに危険なエリアを離れた。
戦争が勃発してからも、トゥアンさんは可能な限り普段通りの生活を送ろうとしてきた。毎日状況を確認し、さほど危険ではないと判断すれば、市場にも出かけて店を開いた。最初の頃、地元の人々はトゥアンさんの姿を見て驚いた。周りのベトナム人のほとんどが店を閉めて退避したからだ。トゥアンさんはこう語る。