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その日の朝、トゥアンさんは早起きして市場に出勤する準備をしていた。しかし、外で絶え間なく鳴り響く爆発音に、何かがおかしいと感じた。それでも、家を出る前にトゥアンさんは妻を安心させようと「ただのごみ収集車の音だよ」とヤナさんに声をかけた。
自宅から10kmほど離れた市場に向かう途中、トゥアンさんはたくさんの車が行き交うのを目にしながらも、何が起こっているのか理解できなかった。すべてのガソリンスタンドはごった返し、市場に着いてからも、人はいても誰も商売を始めようとしていなかった。
大きな爆発音を立て続けに聞いて、その場に居合わせた人々は手足が震えた。空中には白い煙が切れ間なく現れ、トゥアンさんの携帯電話の着信音も鳴り続けた。「状況はどう?」「我々の市場は大丈夫?」と、次から次へと連絡が入った。
ハルキウとロシアのベルゴロドとの間の距離は50kmほどと遠くなく、さらに視界が開けた土地であることから爆発音もはっきりと聞こえ、攻撃の様子も明らかに感じとれた。
状況を理解したトゥアンさんは、不測の事態に備えてすぐに自宅に戻った。市場の管理委員会も、安全を確保して帰宅するよう呼びかけ、セキュリティ部門が引き続き市場に残り、市場の状況を人々に伝えることになった。
しかし、その後の数日間は、誰も商売のことを考える気分になれなかった。そして、ウクライナに居住する多くのウクライナ人やベトナム人が、国外退避を始めた。ロシア軍が国境地帯に侵入し、多くの人々がパニックに陥り、逃げる人が増えるほどトゥアンさん一家も混乱した。
トゥアンさんは、妻と2つの選択肢について話し合った。1つ目は家族全員で退避すること、2つ目は家族全員で留まること。どちらにしても、家族が離れ離れになるという選択肢はなかった。最終的に、当時治安部隊で働いていた息子のため、家族全員でウクライナに留まることに決めた。